慢心

慢心、あまり日常では使わない言葉だけれど、「自慢する心」と書かれている。要するに自分、もしくは自分たちの実力はすでに相当のものであり、それを誇りに思っている部分があると過剰に信じ込み、おごり高ぶる、いい気になっているということ。

 

そんないい気になっている状態なので、当然油断ができる。自分を顧みたり、反省したりすることがおろそかになっている。結果、思ってもいなかったトラブルに見舞われたり、時としてひどい状況に陥ることに。それがきっかけで、ライバルにひっくり返されることもよくある話だ。

 

今から30年ほど前、日本は世界一の経済国に成り上がり、ジャパンアズナンバーワンなどとも言われて?いた時期がある。株価もうなぎのぼりで、今から振り返れば、それがバブルのように膨れ、結果はじけ、そして国家的トラブルに陥った。バブル経済、失った20年などと言われて久しいけれど、要するにこの間の全てではないにせよ、結構な割合で慢心が導いた筋道ではなかったのか?

 

バブルがはじけた後であっても「日本」という国において人々が突然極貧に陥るわけではなく、なんとか状態を復活させよう、当時のような活況を取り戻そうと頑張ってきたはず。弾けはしたが、ネガティブなことを言っても仕方がない。そもそも僕らは実力があったじゃないか。だから前を向いて頑張ろう。そのマインドは悪くないんだろう。だが、だから日本は劣っていない、今でも世界のトップクラスだ…と信じ続けたい、思い続けたい。気持ちはわかるが、反省なくして、自分の弱点、弱みを受け入れることなく、さらにそこを改善することなく復活できる…と信じすぎてはいなかったか。

 

どうだろう?たとえば昨今の関東地方の朝の通勤時の状況を。かつて列車の遅れは1分も遅れることはない、などと世界に豪語?し、他国から信じられない正確さだと恐れられていたはず…の環境は今はどうだろうか?関東近県、毎日どこかの路線で列車の遅れは日常になりつつあるのでは?もちろん、鉄道会社のせいだけだとは言わない。が、そもそも社会システム自身が見直すべき状態とはとらえる必要はないのか?さらにちょっとした雪で都会は大混乱に陥った先週。そんな、遅れている、劣っていることが日常になりつつあり、異常な混雑であっても、異常な混雑、遅れであっても、暴動が起きるわけでもなく、そんな異常な混雑に慣れ始めている人々がいる。「頑張ろう、僕らには実力があるはずなんだから」と信じたくて…。

 

それでも日本は優れていますか?劣っていませんか?

そんな慢心があちこちに破綻をきたしていませんか?

正しく自分の実力を見返したほうがよくはありませんか?

盲目的に、以前はこうだったから今後もこれで…で大丈夫ですか?

以前の名声「だけ」を保とうと、品質を犠牲にしていたりしませんか?

 

すべての人が、というつもりはないけれど、僕らは後退戦、撤退戦、前例を否定すること等々が苦手ではないか?優れている場合はまだしも、劣っている現実をありのまま受け入れる甘受することはできているだろうか?

それが反映されないと、正しく反省しないと、正しく教訓を受け入れないと、僕らは前進できないんじゃないだろうか?

 関東では、今週も雪がちらつくらしい。