つかむかつかまないか

目の前を、様々な事象が通り抜けていく。

それが、チャンスなのかどうなのか、ちらりと見るだけで認識できるほど簡単なものではないものがほとんど。だからそれを見極める目を持つために行うのが、たぶん「学ぶ」ということ。

こうしてしっかり学んだところで、物事に「絶対」はあり得ない。だから流れてくる物事の中で、成功確率の高いもの、もしくは成功確率を高めることができる原石を見極められるようにしっかりと学ぶ。

だがそれでも、たとえば目の前に、成功確率65%の事象と、73%の事象が流れてくると、これは65%でも磨けば90%になるものなのか?73%でも、この機会を逃せば30%に落ちるものなのかは、とっさの判断がむつかしいのが常。だからすべてに手を出さない。そう、「つかまない」ものもある。

人によっては80%以上でないとつかまないとか、90%以上でないとつかまないとか。でも別の人なら50%以上ならつかむとか、60%以上ならつかむとか、「つかむ」という決断が最後に行われる。

 

もっと言えば、そうして信じてつかんだ事象でも、あきらかに未来がない、先がないことがわかれば、すぐに「離す、捨てる」ことも選択肢だ。

 

そう、「つかむ」 「離す」という決断をいかに行うのか。そこには意思として、決断の結果掴んでいる、いや、決断しなければ、掴めないし、離せない。

これをむやみやたらに行うことで成功をつかむ人もいなくはないだろう。でも、できるだけ正しい決断をできるようにするためには、やっぱり考えたり学んだりしなければならないんじゃないかな。

結局、自分の目指す何か、自分が目指す理想、自分のありたい未来を自分でつかむために、自分で決断し行動せざるを得ないということ。なんとなく外からの圧力に流され…、みんながやっているから…、というのも、実は決断。でもそれで「納得」出来てますか?後になって後悔しませんか?いずれにせよ、自分が納得できるためには、自分で考えていてこそ。と考えると、考えること、そして決断することからは逃げられないよね。だとしたらより良い決断、判断がしたいのでは?なら、よりよく考えること、正しく考える方法をみにつけなければ。