自分の夢が描けなければ

昨今、日本における格差の広がりがあちこちで叫ばれている記事を多く目にする。いくら働いても大して貯金もできずに、常にカツカツで生活している人もいれば、けっこう悠々自適に日々を過ごしている人もいるのは事実。

 

であるがゆえに、カツカツで生活している人は日々の生活に疲れる。小さな夢すら満たされず、ここは一発…と何か運めいたもので逆転できないか、そのくらいしかひっくり返せるチャンスはないじゃないかと思い出す。

 

そうして大きなリターンを期待せざるを得ないから、相対的に小さな可能性にかけざるを得なくなる。いわば一攫千金めいたもの、ギャンブルや投機的事象に目が行きがちに。

ビットコインなどで「成功した」人、勝負に勝った人はいいけれど、被害を被った人、負けた人の中には、そんな人も少なからずいるのではないか?

 

ささやかでも夢見ることができる未来が描けるか?

ギャンブルで生活を組み立てる必要に迫られることなく生きられる世界。

別に大それたことでなくてもよくて、半年に一回、5000円/人で外食ができる事でもいいんじゃないかな。人によっては、これさえも大きな夢。

 

「誰にも共通の夢」を見られた高度成長期やバブル時代は、「夢」すら外部から与えられ、皆が同じ夢を見ることができた時代なのかもしれない。けれど今はたぶんそんな時代じゃない。自分に応じた自分の夢を、自分で描く時代じゃないだろうか。

夢を見ましょう、自分の夢を。

他人の夢に踊らされる必要は全くない。自分がちょっと嬉しいことを目指して。