最適を求めて

当たり前のことだと思うけれど、今現在、すべての職種において、その職種が担っている社会的重要性と完全に比例した形で報酬が決められている…わけではない。労働力的に大変な仕事であったとしても、需要が少なければ報酬は小さかったり、楽な仕事であったとしても、需要が多ければ、実施する人が少なければ、報酬は高止まっていたり。

 

感覚的にはそれらはみなわかっていたとしても、でも「じゃあ自分はどうすればいいの?」というところで立ち止まり、うやむやになっていたのが今までの現状ではないだろうか?

 

ところがそれが、インターネットというある種の力で、協力に、ある意味での是正がなされ始めているのを感じる。

消費者サイドからすると、「今までに比べ安くなった…」と感じること。これこそまさに、「そんなに高いお金かからないのでは?」と思っていたところが是正され始めていることだろう。これまでは見かけ上「ぼろ儲け」をしているような商売に見えていたものが、ネットの力でみるみるコストダウンがなされてきて安くなってきたものは、周りにいくらでもあるだろう。多くの人々がそれらを享受しているし、いわゆる恩恵にあずかっているはず。

しかし逆に言うと、そうした力によって、今までは結構楽に稼げていた人々、そうした「楽な稼ぎ方」に慣れていた人は、急速な効率化、収入減に見舞われることにもつながり、苦しい苦境を強いられ始めている部分でもある。いわば、「お金持ちとして一度贅沢になれると、なかなか元には戻れない」ところと似ているかも。

 

だが逆に、今までは安いコストで買いたたかれていた部分の周りにおいて、きちんと需要に応じて、単価アップが図られているだろうか?付加価値を出せているだろうか?なかなかこれを意識している、実践している人は少ないのではないだろうか?結果、コストダウン側の苦しい声ばかりが大勢になり、社会全体として、総生産量は増えているのかどうなのか?まぁ、これを測ろうとするのが「国民総生産」だったりするのだろうけれど、皆さんの「実感」と、「数字」はつながっているだろうか?

 

たぶん、そうしたことへの是正圧力がすすむ一つのきっかけが「ベーシックインカム」になるんじゃないだろうか?これは、生活に必要な最低限(たぶんそれより少し下になるだろう)のお金くらいを、黙っていても給付される。なので、それ以上の収入が必要な人は、働いて得てほしい…というのが基本コンセプトのはず。

こうなると、みな、「本質的に儲けが少ない仕事」いや、「正しく評価されない仕事」は、やりたくないはずだ。であるから、楽な仕事、実入りのいい仕事に流れるのは見えているだろう。となれば、当然ながらそれに応じた報酬が支払われる圧力は出てくるだろうし、やりたい人が多ければ報酬は低く、やりたい人が少なければ(けれど社会として欠かせない、必要な仕事であれば)高給で待遇せざるを得なくなる。今まではそこに、生きるための最低限の収入も絡んでいたので評価がややこしく、既存評価額という既成事実に縛られていたが、それらがリセットされる大きなきっかけに。

 

既得権としてガチガチに凝り固まった給与の壁を打ち破るためにも、正しい報酬、正しい評価がなされるためにも。社会的最適を求めて。