いつか、ロールモデルが

自分が若い時には、あんな人になりたいとか、あんなことができるようになりたいとか、そんな目指す人、目指すものがあると、それ自体が励みになり、頑張ろうと思う心ができたり、実際にやり遂げることに結びつくことがある。

 

だが、自分の年齢からもそう感じ始めているのだけれど、たぶん、そのうちに目指すべきロールモデルは消える日が来る。

それが、ネガティブに消える、ポジティブに消える、どちらもあり得るだろう。

 

ネガティブには、もういくら頑張ってもそこにはたどり着けない、そんな風にはどう頑張ってもなれない、「到達できない」という諦めから、それを目指すことをやめる、という意味での消え方。この場合、違う言い方をすれば、目指すものがより現実的に変更される、とも考えられるか。

だがポジティブには、そのロールモデルと全く同じことができるようになったところで仕方がない。私が「私」である意味は何なのか?「私」としての何かを残すとするなら、それはすでにもうある誰かと同じところに至ったり、同じことをしてみても意味はない。それよりも、自分としての何か、自分としての役割、自分としての価値をどう自分の中で形作るか?そういう落としどころ、落ち着きどころが見えてくることで、目指すべき既存の何かが消えていく。そのロールモデルの「隣のポジション」が見えてくる感じか。

 

ある意味、コインの裏表であるともいえるけれど、考え方次第で、実は自分の心の置き所や行動に及ぼす影響は大きく変わる。

 

ロールモデルがある皆さん、ぜひそこへ近づきましょう。近づいて、追い抜く勢いで頑張りましょう。

でもロールモデルがないという皆さん。焦る必要はありません。あなたの存在自体が、すでに存在する既存の何物でもないということ。自分としてなにかを「形作る」事を考え始めませんか?なんでも結構。形にしましょう。モノや事という形もあれば、見えないけれど「仕組み」という形もあります。何を目指すのか、何を残すのか?今はないなにかをつくることそれ自体は、案外簡単かもしれませんよ。それがより多くの人々の役に立つかどうかは、むつかしいかもしれないけれど。

まずは何かを残すことから。