転職面接

自分が採用される側で面接をしたこともあるし、採用する側で面接をしたこともある。この両者をやってみて思うのは、いかに相手の心理、心の内を見通せるか?ということ。

 

少なくとも日本において、学校卒業後に就職せずに、企業経営側に入った人がそれほどいるとも思えない。それら少数を除けば、ほぼ全員が経験するのは、まずは「面接される側」の立場。

この時には、学校やトレーナーによって、「こうしなさい、ああしなさい」と指南は受ける事はあるものの、でもなかなか当事者にその指摘の本位は伝わらない。面接後に「だからああ言ったのに…」という助言の意味がやっと分かることが少なくない。(が、まだ、直後にそれを理解して、糧とするほどの者は優秀だろう。)

それらを突破して、何とか会社に属するようになって何年かすると、あぁ、あそこで言っていたのは、確かにこれが知りたいから、これが見たいからだな…と見えてくる。そう、多くはここで初めて「面接する側」の心理が見えてくる。

 

逆に、「面接する側」の立場は、そのほとんどが経験している方であり、忘れていては仕方がないけれど、面接される側の心理はある程度見えている。その一言、一挙手一投足が意味するものなどは見透かされている。

…であるから、それすら通り抜けんがために、面接される側はトレーニングをし、自分自身のストーリーを作る。悪い言い方をすれば、面接が、「キツネとタヌキの化かし合いの場」になりかねないということ。

 

 たぶん語るべきは、面接される側としては、「あなたが成し遂げたい何か」であり、逆に面接する側としては、「あなたに成し遂げてほしい何か」ではないのか?

そしてそれが、できるかできないか?その会社の事業とどう繋がりそうか?今はすべてできなくても一部その素養があるのか?今はできていないところは学ぶつもりはあるのか? そこが自分にも、相手にも、イメージできるか?

 

ただし、「多くの人が(できるから)やりたい仕事」は、当然ながら競争率が高く、単価が下がる。逆に「多くの人がやりたくない仕事」は、「できるからやりたくない」ものと、「できなくて避けている」ものとで違いがある。「できる」ものに対しては、当然ながら正しい評価(給与)といったインセンティブが必要になる。今、できないものは、できるようにできるのか、努力する意思が重要になる。

 

日本では今、働き手が足りなくなってきている。この状況で明らかに変化があるのは、非正規雇用者の単価が上がり始めているということ。さらに、単純に単価だけでは引き寄せられないと見た企業は、「正社員投与への道あり」などという「ニンジン」をぶら下げ始めているところもある。

がしかし、5年前ならそれも「ニンジン」だったかもしれないが、もう明らかに雇用が足りなければ、簡単に辞められない、企業に縛られ続ける「正社員」はインセンティブには見えなくなり始めているかもしれない。立場が変わるとはそういうもの。

 

話がそれ始めたけれど、要するに何をするか、何をしたいのか?それが、「相手が望む状況、情報」を提供し、それが「自分のやりたい事」と合致している場合に限って、職とする。究極的にはすべてはフリーランスとなって、すべてのスキル単価が「高く」なり、それが習得できないものは「安く」働き続けることになるのではないかな。

 

ずいぶんネタがずれちゃった。