考えていないから

子供のころに、親から言われた。「もっとしっかり考えなさい!」

でも、「考えること」って「どうすること」だろう?どのようにすれば「しっかり考えること」になるのだろう?

 

あなたは「しっかり考えろ」と言われたら、どう「考え」ますか?その考え方は、正しく「しっかりと」考えているんでしょうか?

 

そもそも、子供のころから大人になるまで、「考える」を考えたことはあっただろうか?習ったことはあっただろうか?そんな禅問答のようなことを子供のころに言われても、それこそ「わからなーい」で投げ出すのが落ちだろう。

だからこそ「考える」を考える。それはそもそも、それに対して今ある回答自体が正しいのかどうなのか?疑ってみることから始めてみるのが良いのではないだろうか?そこに飛躍はないか?納得できるのか?納得できないならなぜ納得できないのか…。と、ほら、もう考え始めているでしょう?

 

昨今、考えることすら放棄して、「この人なら考えているであろう人」を選ぶことで、「考えているつもり」になっている人が多くいるんじゃないだろうか。そしてその「考えているであろう人」の候補者が、人になじみのある芸能人ということになっていることが多数ありそうな事自体に違和感を感たり。

いや、芸能人でもしっかりと考えている人はたくさんいる。が、そういう人ばかりが選ばれているわけではないようだし。

同様に、政治家であったとしても、考えている人、それも「政治」を考えている人が選ばれているかというとそうでもない気がして。自分の好みの方向性を言葉にしてくれた人、を選んでいたり。

 

 

なので、まず「考える」を考える。たぶんこれが徹底されてくると、正しく考えられた上で人が選ばれ、結果が選ばれることになる。でなければ「考えているであろう人を選んで任せる」ことすら、「考えずに選ぶ」ところで、その人たちに結果をゆだねることになりかねず。

ほら、昨今の状況を振り返ってごらんなさいな。一部、自分のポジションをしっかり考えている人々に、実は、暗に誘導されていませんか?