最近はやり?の(タイミング)

立志式とか1/2成人式とか、最近、10歳を機に意識を新たにするという式典がもたれることがあるという。

すべての式がそうではないらしいけれど、この手の式のよくある「目的」として、両親に向けて今まで育ててくれてありがとう的な、両親への感謝を表すだけの式には、私は何の興味もない。個々の意識の持ち方、それから先の人生に向けての意識付けという意味においては、それなりの意味を持つであろうという点においては賛成できる。

 

と思い、少し考えてみた。

たとえば、昨今「成人」の考え方が18歳に改められる機運があるけれど、こんな考え方はどうだろうか?

 

昨今の時代の速度からして、2倍を待つのは時間が経ちすぎる。なので、1.5倍を目安とするなら、

18歳の1/1.5の、12歳にはじまり、18歳、その1.5倍の27歳、さらにその1.5倍の40歳、そしてその1.5倍の60歳。これ、結構よい節目ではありませんか?

 

12歳:小学校も最後、そろそろ「個」としての自覚が生まれ、親の庇護に頼らずに、自分での行動につながり始める時期。

18歳:まさにこれから成人になろうとする時期。たぶん将来的には、お酒も、結婚も、選挙権も与えられるであろう歳。社会人としての自覚を持つには遅いくらいだろう。

27歳:通常の日本人であれば、まず間違いなく就業している年齢。それもたぶん終業後何年かが経ち、そろそろ一人前の仕事が求められる時期でもある。

40歳:40にして惑わずというくらい、社会人経験もしっかりとつみ、これからの生活を今一度見直す歳。

60歳:これから先はきっと、定年退職といった言葉がなくなるかもしれないが、そろそろ「フルパワーで働く」ところから、シフトダウンを考える時期。

 

いや、別にこの年齢でないと…とは思わない。そうではなく、そうした自分の人生の中でのキャリアを見直す「時期/タイミング」を、今まで以上に明確に意識する必要が出てきているのではないだろうか?そしてそこでの社会的ポジションや、経済的ポジション、人のつながりやネットワークの張り方などを、今一度見直すよいタイミングを意識する必要があるのではないだろうか?

それを毎年毎年行うのではなく、ある周期をもって考える、その一助として考えてみてもよいのでは?という提言に過ぎないのだが。