3つの学び

いわゆる義務教育で学ぶ「学び」とは、当人の意思として無くはないだろうけれど、往々にして意図せずして学ぶ学び。だから、いつかはわからないけれど、将来必ず必要になる内容、それをゼロから学ぶ「学び」である側面が大きい。なのでよく子供のころに「これ勉強して、どこで役に立つの?」なんて言葉が出るわけで。

 

それに対して、何かを実行してみて「うまくいった!」というところから学ぶことがある。これが私が考える二つ目の「学び」。この「学び」は、たぶんみんなが好きなやつだ。言うまでもなく、「あぁしたから成功した」「こうしたからうまくいった」という、非常にポジティブな意見に満ち溢れている。であるがゆえに、時には冷静に判断できない場合もあり、学びとしては「幸運だったこと」と「勝ち取った効果」とを、冷静に切り分けられない人も多い。冷静にうまく言った原因、要因が切り分けられると、それはそれで非常に効果が高いのだけれど、そうでない場合、単なる自画自賛に終わることもなくはない。

 

もう一つ残っている私が考える最後の学びが、「うまくいかなかった」ことから学ぶ「学び」。実は経験的には、こいつが一番「学びが多い」。

ただし、もうお分かりのこととは思うけれど、「失敗から学ぶ」ということで、ネガティブな心境であることが少なくなく、どうしても後ろ向きになりがち、だからダメだった、よくなかった…といったものばかりを取り上げがちになる。これも場合によっては自虐的側面ばかりを取り上げる人もいなくはない。

しかし、ここで「これは意味があった」「これだけは二度と繰り返してはならない」をきちんと挙げておくことができ、同じ轍を踏まないということにつながれば、すくなくとも同じ失敗はしなくなる。実はこれが一番大きな効果ではないだろうか。

 

本当に学んでいる人、大きく成長する人は、実は最後の失敗から学んでいる。だから学校でも言われていたんじゃないですか?
「テストの点で一喜一憂するのもいいけれど、テストで間違えたところを、きちんと復習しておきなさいよ」

これこそが、学びのキーポイント。もっとここを強く協調してくれる教師がいてもいいのではないだろうか?「テストの実施」で、「教師」としては終わりかもしれないけれど、受講生、生徒の立場から考えれば、「テストが終わった後の行動」こそが、もっとも成長するタイミングであり、成長効果が高い時間。ここを有効に使わない手はないでしょう?

今一度、失敗から学ぼうではありませんか。