できるうちは頑張る…

皆さん、できるうちは頑張る人が、少なくとも私の周りには少なくない。そうした「頑張り」は、私の知る限り、日本においては美徳とされることはあれ、悪い態度とは見られないことがほとんど。
だから、止めるとき、終わるときは、もうできなくなった時、やれなくなった時。昨今は、それでもやり続けてほしいという周りにサポートされながら、やり続ける人もいたりする。

 

でもこれは、要するに「自分でなかなか止める決断ができない」ことの裏返しではないのか?どうすれば止めるのか、もうやらなくなるのか、ゴールが決まっていないということ。もちろん、それは一つのリスク管理の手法ではある。が別の視点からすると、なりない何か、ゴールがない人が(あえて言う)ダラダラと続けていることはないのか?

 

これは一個人に限らず、そうした個人があつまった集団としての、組織、会社においても同じだ。止めるためのゴール、止める基準がなく、続けられるうちはずっと続けていて、たとえ意味がなくなったとしても続けている、垂れ流し続けていることが見えてくる。
もちろんそれを続けることが、ある一部の利権、生存にかかわることもあり得る。が、さらに大きな視点で見てみた際には、それをやり続けること自体が、大きな負担になっていることも。そして大きな時間軸で判断した場合、さて、それをこれからも続けていくのか、ここで痛みを感じることがあったとしてもいったん止め、それによる痛みを伴ったとしても、5年後、10年後において、皆がよりよい状況に持っていけることを目指していかないか?という視点、決断は、ほとんどとれない、取れていないのが現状。

 

だから、終わる条件を考えませんか?それも、たぶん今まで考えていたような「できなくなったらやめる、終わる」ではない、明確な「これと、これが達成されたら、終わる」という条件を。
ただ、今までの慣習から鑑みると、そういう「終わる条件を議論して、決断を得ること」自体が、とっても紛糾し、難しいことになりがちだ、というのは、想像に難くないのだが。