覚えるべきもの、理解すべきもの

たぶん、頭のいい人、成績のいい人などは、いち早くそれを学んでいたり、誰かに教えてもらったことがあるのかもしれない。

 

勉強する、学習するという中において、「覚えなければならないもの」と「理解しなければならないもの」の違いがある。これを、何でもかんでも「全て覚えなければならない」としてしまうと、早晩、記憶容量がパンクする。たぶん頭のいい子は、覚えるに際し、何らかのルール、法則で、効率よく「覚える」。たとえばパターン化して「理解」することで、全部を覚えることなくすべての状況を理解できる人がいる。

だがそこまで気づけない人は、とにかく覚える。いや、それしか方法を知らないと言うだけなのだが、これは辛い。結果的に覚えられずに苦労する…ということを味わったのではないだろうか?

 

逆に、そうして覚えることが苦手だということがわかり始めた人は、「すべてを」パターンで理解できないだろうか?と考えたりもするらしい。必死でパターン化に取り組む。ある意味、パターンで覚えられるところは非常に理解が深いけれど、それ以外のところはからっきし…ということにも。全てがパターン化はあり得ず、どこかで破綻する。例外のないものはまずない。

ただ、いわゆる理系と呼ばれる科目においては、このパターン化、理系で言うところの法則、公式といった形で理解できると、実力が上がる一つのきっかけにはなる。だが法則にしても、公式にしても、実は覚えなければならない部分もあり、結果その方が効率も上がり、その双方がバランスよく回ることで実力が伸びるのは当然のこと。

 

反対に、文系と呼ばれる科目でも、実はパターン部分がなくはない。明確なのは、国語や古典、英語などの「文法」だ。これは「言葉の公式」と理解すればわかりが早い。だが当然ながら、単語、熟語を覚えなければ、公式だけでは力が出ないのは当然。(これとても、言葉が派生して生まれているち考えたりすることで、パターン化が無くはない)

 

では社会や理科は?理科は公式部分もある。数学ほどではないにせよ、暗記部分と公式部分とがバランスよく存在する科目。数学とはまた違う公式の変形や、場合による反応法則などを覚えなければならないところが、また数学とは違う部分でもあるか。

社会は?地理は基本暗記だろうけれど、とはいえ地面は地続き。実は理科的要素も多く含まれている。この流れで行くからこそこちらとこちらは気候が似ている…という、「鳥の目」的視点でとらえると、一つの突破口になることもあるかもしれない。

歴史は?これも記憶ではあるけれど、ただその事象、物事を「単体で覚えよう」とすると、途端にメモリーバンクの容量に限界を覚えるだろう。「点としての事象、イベント」は無限にある。だから、時系列で、流れで、ストーリーで覚えるのが基本。さらにこれも「日本の歴史」のみならず「世界の歴史」の中で「日本の歴史」というのが流れで見え始めると、途端に「単体で覚えていた世界」では想像できなかったこと、周りとのかかわりが見えてくる。本来、学習をさせようとする側はそこまでを見据えているのかも知れないけれど、学習時間的制約、受験に向けた配慮とうとうから、結果的に「単に事象を覚える科目」として嫌う人も少なくない。

 

結果、覚えるべきもの、理解すべきもの、この両者をバランスよく吸収できた人、バランスよく教えてくれる人がいることで、楽に理解でき、楽に覚えられることに。

…と考えると、良い先生との出会いこそが、貴重だということにもなるわけだ orz。