トップが切り替わるとき

会社や組織のトップが切り替わる。人間という生物は、歳を取り、個としての人はいずれ死にゆく運命にあるため、必ずいずれは切り替わるか、その組織がなくなるか、どちらか。

その中でも特に、創業社長から次の社長に切り替わる際。創業社長は、創業者であるがゆえに、様々な強硬的采配を振るえた、様々なリスクが取れる(周りも納得できる)ことがよくある。だが次世代に切り替わった瞬間に、そうした思い切りなどが取れなくなり(雇われ社長となり)、うまくいかなくなるというのはよく聞く話。であるがゆえに、切り替わったとたん業績が下降線をたどり、やむなく創業社長が再び舞い戻る…なんて会社もなくはない。

 

だからこそ、次期社長に据えるべき人の人選は非常に大切であり、またそうそう誰でもいいはずもなく、そんな人がすぐに見つかるはずもなく。バトンを渡すというのは、タイミングと人材とで大いに悩ましい問題となる。

 

これは、大きい会社だから起きるとかといったことではなく、大きい会社は大きい会社としての悩みが、小さい会社は小さい会社としての悩みがそれぞれである。

大きい会社は、それだけの「大きさ」を誇るがゆえに、個人のキャラクター「だけ」ではまわせず、本当にオールラウンドに素晴らしい人材でなければ回らないことが少なくなく。であるために、切り替わった後でも、その後の道をうまく進められるように「会長」などというお助け役として居残ったりもする。

小さい会社は逆に、その人の個性こそが会社のカラーになっていたところもあり、そんな「同じカラーの人間」がそうそういるわけもなく、かといって、全然違うカラーに乗り換えることにより、会社の存続が危ぶまれることにもなりかねず。

 

まぁなんにせよ、滞りなく継承するということは、そのくらい難しい。すでに適切な継承者が見つからずに畳まれることが予想される企業が山ほどある。

だからと言ってあきらめても仕方がない。全ての人は違うのだと認識をし、同じところはどこか、違うところはどこかを認識するところから始めなければならないのは当然のこと。

任される側になりたいのなら、そもそも自分が成し遂げたい事がきちんと意識できているか?流されているだけになっていないか?自分が「流れていきたい方向はどこか」が明確に描けているかが重要なところ。

逆に言えば、多くの人々が、流されるがまま、そのままで「流れていく」ことが少なくない。いや、それも人生。悪いとは言わないけれど、いつもいつもみな幸せな方向にのみへと流れて行っている…とは限らない。

 

なので本当にあなたが、大それたことでなくていい、少なくとも自分が思う幸福、幸せになりたいというのなら、その方向性だけでも、小さな目標だけでも、年に一度くらいは考えてみても損はないんじゃないかな。