終了条件

そもそも皆さんは、なんでもいい、物事を進めていく際に、「これがこうなったら終わり」という条件を意識しているだろうか?

 

たとえば、映画の撮影なら、日没になったら今日は終わりとか、光が悪くなったら終わりとか。わかりやすいところで言うと、時間になったら終わりとか、項目が全部終わったら終わりとか。

 

たぶん、お仕事において、それも大項目の仕事においては、決まっているだろう。「これを成し遂げれば」終了。もちろんそれで結構。だが、これにしたところで、「成し遂げるってどういうこと?」とか「なにをもって成し遂げたと考えるの?」とか、実は言い出せばきりがない。さらにそれを、月単位、週単位、日単位に切って、「今月はここまでやらないと」「今週中にここまでやっておかないと」「今日中にこれだけは仕上げないと」というのがそれぞれの単位における終了条件。

 

まずこうした「終了条件」が存在するだろうか?

結構多くの職場でありがちなのが、この「終了条件」自体がないということ。ひどいところになると、「いや、仕事はずっと続くんだ。だからもうちょっと残業してやっていってくれよ」などと、なんとなく疲れて帰りたくなるところまでが今日の仕事…になっていないだろうか?

もうすでにお分かりかと思う、この時点で、「働き方をより効率よく!」なんて言っていたところで、効率を上げた人ほど苦労する(より多く働かされる、ノルマを増やされる)のはお分かりだろう。

何かを何個つくるとか、いくつのメモリまでやるとか、そうした事があってこその「効率化」この前提がなければ、いくら効率化したところで、労働時間はまず減るわけがない。

 

「いや、うちは今日のノルマが決まっている」というところがあったとして、そもそもその「ノルマ」の量は適切なのだろうか?そもそも通常労働としての3日分の作業が1日に詰め込まれているのをもって「今日のノルマだ」と言われても、はなから無理なのはわかりきっていること。これを「のめ!」と言われている時点で、それ自体がもう、適切な労働環境ではないし、労働契約として成り立っていないということに。無理なものは無理なのだ。

たとえば「明日までに、火星に行くロケットを作ってください」と言われても、無理なものは無理。…だと双方が世間の常識に当てはめてなんとなく納得しやすいものしか納得されず、納得されにくい。特に、労働者を使う側の理解が低ければ低いほど、無茶を押し付けられることに。そもそも、そうした「頭の悪い使用者、マネジメントが多すぎる」というのが、昨今の日本の雇用環境の悪化に一役買っている側面は、小さくないと思っている。こうした頭の悪いマネジメントが、実質的に労働者をいじめて成り立ってきた慣行の上で育ってきた今の状況だから、よほどの善人でもない限り、上に上がったから現場を理解したやりかたに…は切り替えられないのが実情。こうして日本の労働は、意志ある一部を除いて、ひどい状況に陥っているのを見ていると、涙が出そうだ。

 

話がそれそうだ。だからまず、終了条件を明確にしようよ。そして、それが終わったら、帰ろう。残る意味はない。もしそれすらできない職場は、正直なところ、逃げ出すべき職場だと考える。それこそがダラダラ仕事の元凶でしょ?

今すぐではないかもしれないけれど、もう、労働力がひっ迫している仕事場は少なくない。労働環境がひどいところからは、勇気をもって逃げ出そう。皆がそんなところをあからさまに敬遠するようになれば、現場も変わらざるを得ない。給与も上げざるを得ない。そしてこれは、働く者の権利として認められているのだから。