正確さと決めつけ

私自身は、いわゆる理系出身のため、いろいろと細かいところが気になることがある。何かの連絡や報告などを受けると、どうしてそうなったの?とか、理由は?といったことを確認したくなる。自分自身としてはそんなつもりはあまりないのだけれど、ロジカルだとか、細部までの正確さを求めているように見えたりするらしい。

 

これとは逆に、非常に物事をアバウトにとらえ、あぁそれならこの程度だよとか、こんな感じでいいんじゃないのととらえる人もいる。傍から見ている方としては、そこ確認取らないの?と冷や冷やすることもしばしばあるのだけれど、けっこうそれでもうまく回ることもある。もちろん、本当に確認が必要なことができていなくて、あとで大失敗につながることもあるようだが。

 

社会にはどちらもいる。そして、たぶん、いわゆる理詰めの人は少なくて、どちらかといえばアバウトの人のほうが多い気がしている。ただし、アバウトな人の中にも、勘所においては必ず確認したりする人もいて、要するに黒か白かの二択ではなく、黒と白の間には、無限の色合いのグレーの世界、アバウトさにも、ロジカル90%だけれどアバウト10%なんていうのもいればそれぞれ50%の人もいるということ。

 

要するにこの「グレー度合い」が、自分のやり方になじむ度合いであるかどうか。逆に向こうが合わせてくれるような人であるならば、グレー度合いがマッチングしやすくなるということになる。

 

この「相手に合わせる」ということができるのは、相手よりもポテンシャルが高いほうが合わさざるを得ないのは当然のこと。ポテンシャルの低いほうは、低いからこそ聞き手に回るのであり、高くなることが自分でできるようであれば、わざわざ聞いたりしない。…ということは、ポテンシャルの高い人は、自分のスキルの一つとして、ポテンシャルの低い人に合わせるスキルということは意識したほうがいいかもしれない。確かに、同じ職種同士、専門用語がビシバシ通じ合う相手のほうがコミュニケーションが楽に通ってストレスフリーなのはわかるのだが、そうでない相手、その分野での「ポテンシャルが低い相手に合わせて説明する力」を養うことができれば、実はそれは大きな武器になる。

 

ポテンシャルの低いところに向けて、すべてを正確に説明するのは、時に困難な場合がある。その時にどこを端折るのか?どこをすっ飛ばすのか?その部分の説明が抜けても、そのポテンシャルの人たちが知りたいことは十分に伝わるのではないか?そのためにはどう説明すればよいのか?もちろん、勘所はきちんと説明した上で。
こう考え始めると、物事の要約の仕方、説明の仕方、たとえ方など、ここには様々な能力が必要になってくる。もちろん、相手はいつも同じではないため、その都度その相手のレベルに微妙にチューニングが必要になるということ。

 

正確に伝えるだけが価値ではない。

うまく言えないからと言って、決めつけるのも価値ではない。

相手が知りたい部分を、相手が知りたいレベルで伝える。

たぶん、これが求められているコミュニケーション能力と呼ばれることではないのだろうか?


そろそろ新しい人たちが入ってくる。もう来ているかな。