意味ある悩み

大小いろいろあるけれど、悩みのない人はいないだろう。

心配性、不安症、最近はそうした心の状態にも、様々な細かな病名が振られることが増えつつある。

 

大小さまざまな悩みを日々抱えつつ生きること。これ自体、人間なのだから仕方がない事。ただ私が個人的に思うのは、そうした悩みの中でも「考えて意味のある悩み」もあるのだが、それとは違って「それをあなたが考える意味があるのか?」と疑問に思うものも悩んでいる人がいたりすること。
ざっくり言えば、「あなたが心配したところでしょうがないでしょ?」という悩みで悩み続けている人、あなたの周りにいたりしませんか?

 

分かりやすいところで言えば、ニュースなどで見た被災地の悲惨な状況や、他国の貧しい状況。それ自体の悲惨な状態を見て、心打つものがあり、募金や自分が動く活動につながる人。それはそれで素晴らしい人だと思う。そんな人たちに何か言うつもりも非難するつもりも毛頭ない。
だがそういう状況を見て「あぁ、どうすればいいんだろう、私」と自分のみに起きないかと心配してみたりしても、ほとんど意味はない。心配するだけ(誤解を恐れずに言えば)無駄で、改善の行動につなげなければ意味はない。

 

さらに昨今のマスメディアでは、極端な事例、たとえば健康食品や健康状態を取り上げて、だからあなたも気を付けなければといった危機感をあおろうとする情報。もちろん、啓もう活動的に意味のあるものもあるのだろうが、かつてあった「納豆が健康にいい」といったことをことさら取り上げることで、世間の主婦がなびいて、近所のスーパーでいきなり商品が品切れになったり。逆に「これは危険だ」が流布して皆が近寄らなくなったり。確率論的に考えて、自分に降りかかる可能性を考えて、それ意味があるのだろうか?

 

たぶん、無駄に悩んでいる人の多くは、「自分のための、考え方」を知らないのではないだろうか?と勘繰っている。悩む必要のある心配事なのかどうか?これを簡単に考えられる、判断できれば、無駄な悩みからは解放される。
ある意味、子供が小さくて、そんなことにかまっていられない忙しい人のほうが、実はそんなことから解放されているけれど、それでも子育てが一段落すると、やはり考え方は必要になるもの。

 

考えることから逃げ続けると、こうなりかねない。
だから、簡単でいい、考えることをやめないようにしないと。