分かる

学校時代の勉強に求められている本質は、たぶんこれだろう。「分かる」ということ。だが、結構多くの部分は、「分かる」より以前の、「まず覚える」から始まる。
確かに、覚えなければ始まらないところはいろいろある。言葉、単語がまずそうだ。それらの慣用句もそうだろう。意味を理解する以前に、覚えなければどうにもならない。その場合にはそのような言い方をする、以上に意味はない。だから覚える。

 

だが、物事全ては覚えればいいか?というと、そうでもない。理屈があるところ、理解しなければ進まない、進めないところがいろいろある。そうした理解の学習が明確に進められるところの一つがたぶん大学。現実の大学の授業でどのような内容になっているのかはいろいろあるだろうけれど、大学とは物事の本質の追及の仕方、まだわかっていないことを突き詰めて理解していくやり方を学び、何か一つについて理解を進めることが求められているはずだ。

 

そしてそこを出ると、大半が就職。
だが、就職、職場で求められているのが、「分かる事」もなくはないのだが、それ以上に「やって結果を出すこと」がほとんど。一部研究職は別にしても、とにかく分からなくてもやり方を覚えなさい、結果を出しなさい。理屈をこねているだけでは結果が出ない、成果が出ない。であるから、当然ながら、「分かってからやる」という態度は嫌われがちに。分からなくても「まずやりなさい」。そして「やりながら、場合に応じて理解しなさい」が、働く現場で求められていること。
当然ながら、やってみてうまくいかないこともある。となったら、それを何とかうまくいくように持っていく。それが理解することが必要なら理解し、工夫することが必要なら工夫し、結果に結びつけること、それがビジネス。

「分からなければ」回らない職場もあれば、「分からなくても」回る職場もある。特に頭でっかちな人が陥るのは、後者のような職場において、行動が伴わずに考えてばかりいる状況。別に低俗な職場に限らず、多くの職場においてこのような場所も少なくない。

 

すでに配属が始まっているであろう新人の皆さん。理解、熟考も必要だけれど、まずは、動きましょう。考えるのも必要ですが、まずは行動を真似る、動くところから入りましょうか。そのうち、それが理解につながる。…と考えるとこれ、スポーツと似てるんですよね。だから体育会系があちこちで活躍する理屈なんじゃないかと。