興味のないこととの接点

昨今のネット文化。Amazonのおすすめでよくお分かりの通り、自分の知りたい傾向、似たような情報は、ネット側が「忖度」していろいろと推してくれる。確かに、まったく当て外れはそれほどなく、けっこうな確率で、ほう、なるほど、じゃあ見てみるか…といった内容をお勧めしてくることは少なくない。

これをして、自分の知りたいことをとことん追求する、知りたい周りのことなどドンドン突き詰めていく際にはこれは非常に効率がいい。

 

だがデメリットの考え方もある。上記のやり方を突き詰めると、(そう簡単になるとは思わないが)ある意味「それの専門家」に近づいていく。これは言い方を変えると「専門のこと以外の周りが見えなくなる」ということでもある。

要するに、知りたいことをより追及しやすくなってきている環境ではある、けれど、知りたくない事、まったく関係ない事と触れにくくなった、と考えてもいい。

 

高名な研究者たちが時に語るのは、実は、自分の研究とは全く関係のないところからヒントを得ることがあるということ。たとえばある人が、工学的事象を追及し、何かのモノづくりをしているのだけれど、それを追及して行き詰った時、ブレークスルーのヒントは植物の種の形状から得た…なんてことがあったりするわけだ。

もう上記の話みたいなことは普通になりつつあるけれど、自分とは関係ない…と思っていたけれど実はヒントがたっぷり含まれていることが少なくない。じゃぁこんな「今、自分は関係ないと思っているけれど…」という事とどこで接点を持つべきなのか?今のネットは、興味を突き詰めるにはいいツールだがそれいがいのつーるは?

 

たとえば、関係ない本を読むでもいい、関係ないテレビを見るでもいい、散歩でも、スポーツでも何でもいい。とにかく、なにか関係がない…と思い込んでいるところにも何かあるかもしれないと気付く、考える習慣、意識して触れに行く事が必要なのではないだろうか?考える、気づく。たぶん、頭の片隅に考えを置いてある状況で、他の刺激を浴びに行く。となると、ずっと考え続けるほど深く頭を使い続ける必要はなくても、「考えていなくてはならない」という事。

 

こうした「考える」を定量化とか、形とか、言葉であらわえせればなぁ…。脳科学者の人、何かこれに値するいい言葉はないのでしょうか?