勝ち馬を通して

私も含めて、日本人は勝ち馬に乗りたがる傾向が強いように思う。

勝ち馬に乗る。

確かに、勝ち馬、まず負けない馬に乗れば、ほぼ負けない。勝利が手に入る。

 

だがもちろんこうも考えられる。明らかに勝率が高いという事でみんながそれに乗りたがるから、配当が下がるのは当然だろう。ブックメーカーにおいても、勝つ可能性の高いところにはみんなが寄ってくるのだから、大人数で勝った成果を分けなければならなくなる。一人一人の配当は小さい。

 

逆に、かつ可能性の低いものが勝てば、配当は高いのは当然のこと。誰も勝つと思っていないものが勝てば、勝ち分を少ない人数で分け合うことになる。

 

けれどそんな当たり前の状況にもかかわらず、結構多くの人が勝ち馬に乗りたがる。それはどういうことなのか?たぶん、「勝つという分析」ができているかどうかの違いではないだろうか。できる能力のある/なしもそうだし、その能力があったとしてそれに時間を割くかどうか、割けているのか。
分かりやすく言えば、そんなことを考えることすらめんどくさい人、考えられない人が多いのではないか?だから、そうして手を抜いた分、多少儲けが少なくても、とにかく勝てばいい…という人がいかに多いのか?ということではないだろうか?

 

極論を言えば、考えることすらしたくない、考えたくない、考えられない人が少なくないのでは?
裏を返せば、では考えることができれば、それも楽に考える方法を知っていれば、丁寧に考える手法を知っていれば、それだけで大きなアドバンテージが得られるかもしれないという事。

 

差はどこにあるのか?考えることにあるのではないだろうか?

みんなが同じではなく、みんな違うことが大切なんでしょ?個性重視なんでしょ?じゃぁなんでみんなで「同じ馬」に乗ろうとするのか。やっぱり頭をいかに使うか?考えられるか?しかないんじゃないのかなぁ。