値上げを感じ始めた春

日々、生活するためには、様々なモノやサービスを購入し、それを使ったり、消費したりして暮らしている人がほとんど。私も同じく、誰かが作ってくれた商品やサービスを日々利用しながら暮らしている。

 

そんなとあるサービスを先日利用した時。

「いつもご利用ありがとうございます。申し訳ないのですが、来月から値上げさせていただくことになりました。ご理解のほど、よろしくお願いします。」

と声をかけられた。

 

実際、これに限らず、こまごまとした商品は、すでに値上げモードに入っているのを感じている人も少なくないだろう。いままでは、1セット9つのコブクロが入っていたものが8つに減って同じ値段だったり。1パック300gだったものが、280gで同じ値段だったり。多くは中身を減らして見た目の値段を変えないものが少なくない。リニューアルと称してパッケージデザインを変え、それに乗じて中身を減らすという作戦に出る会社もある。ランチにおいても、微妙に〇十円、場合によっては〇百円値上げになっているものを見つけるときもある。

 

当然ながら、これらすべてが悪いなどというつもりはない。物価上昇が全くなしで、給料のみが上がることは事実上あり得ないだろう。憂うべきは、物価上昇に見合うほどの給与の上昇があったか?というところだ。

物価ばかりが上がり、給料はそれほど変わらず、というのが最悪。そして今、その最悪パターンの香りがプンプンとし始めているのだが。

 

これにあらがおうと、一部のファストフードなどが、「お値段据え置き」などで頑張ってしまう…こと自体が、これまでデフレを手助けしている一端となってきた。そういう企業努力はもちろん必要だがそれのみならず、ここでやるべきは、きちんと各社が社員の手取りの給料を上げる方向だろう。国だってそうだ。上がった給料から税金や保険料を搾り取ろうとしない事こそが重要。
真実のほどはいろいろありそうだが、大きな企業では内部留保が今までにはないほど積みあがっているという事を言う人もいる。こんな時、たいていの経営サイドが言うのは、晴れているときは「荒天準備」と称して給料を絞り、実際荒れているときは「荒れているでしょ」で給料を上げないという事。これじゃぁいつまでたっても上がりやしない。

 

働きに見合った対価を支払う事。言うのは簡単だが実は大変難しい。が、明らかに働き手が足りなくなってきている昨今、「優秀な人」は、ひもをつけてでもつなぎ留めたいはずなのだ。それに対して、少なくとも「対価」を支払えているのか?そうできない企業は明らかに人材を失う世界が近づきつつある気がしている。

私自身、経営者サイドではないため、ある意味良い時代。きちんと対価を支払ってくれるところを探すことは、最初は怖い。だが、多くの人がそちらになびき始めた瞬間に、たぶん、日本の雇用環境は劇的に変化せざるを得なくなるだろう。

今は、雇用サイドが不当に安く人々を使うことが可能な時代に感じている。だがしかし、いささか日本的ではあるけれど、労働者サイドが「皆一斉に」そうしたやり方に正しく対応していければ、安いところから高いところへと動き出せば、明らかに状況が変わる時代に近づきつつある証しでもある。