決めるという効率

日本社会において、率先して行動をし、成果を残すものが昇進していくのは理解できる。逆に行動すべきものが行動せず、叱責を食らうこともある。これは要するに、「その人が、そこで行動すべき責任がある」という事が明確に履行されているかどうか。

 

これと混同されやすい、いや、日本では場合によってはきちんと分解して理解されていないのが、「決める責任」。

誰かが方針を決めたり、方法を決めたり、方向性を決めたりして現場に指示を出し、それに従って下々がそれを具現化するために動き出す。

 

だがよく見るのが、決めるべき人が決めるべきタイミングで決めない、優柔不断な状況。部下から、決めるに必要な情報をまとめて説明されたところで「…うーん、しかしなぁ」と決めない。最悪な場合「ほかにこんな情報も追加で欲しい、用意してくれ」などと指示を飛ばして、決めない。

多くの部下は思っている。早く決めてくれ!もう実行する時間がないんだ、と。

それでも決めない者は決めず、そこから時間が経過したのちに何らかの方向性で(ある意味当たり前の)結論を出すと、残り時間が削りに削り取られた現場であとのしりぬぐいをさせられる、突貫作業が待っている。現場はうんざりだ。(そんな結論、もう半月も前から言っているのに、この半月の時間は何だったのか…と)

 

さすがに昨今は、ハラスメントの概念があちこちで広まりつつあるため、ブラックまがいのひどい対応をすると、現場も黙って受け入れないし、最悪の場合、現場メンバーが即刻辞めていくことにもなる。

 

ただ決断する責任者の立場も、百歩譲って分からなくはない。決める事はとても大変だしエネルギーがいる。さらにほとんどの場合が、決めるに十分な情報が集まっていない事ばかり。事前にそれらに手を打って「こういう情報を集めて報告してくれ」と指示を出しているリーダーであったところで、その集められた情報で決断するのには覚悟が必要なことがほとんどだ。

 

ここで何が言いたいのかといえば、「行動すること」と「決めること」とは、責任分担できるという事。なので「行動する人」が決めなくてもいいし、もちろん、「行動する人」が、(その役目があれば)自分で決めて動いて行ってもいい。

そう、その決める権限、範囲をきちんと明確にしておくこと。そして、その権限の範囲で素早く決めること。現場を動かす鉄則の一つだ。

 

「効率化」が叫ばれて久しい日本経済だけれど、この「決めないことによるロス」がどのくらいの割合であるか、非常に気になっている。いくら「現場で行動するもの」の効率が上がろうと、「決定」の効率が下がれば、現場の時間をドンドン削り取って意図して動けなくしていることと大差はない。

そう、決めなければ動かないのだ。覚悟を決めて、動かしていく。その決める覚悟、責任が大変だからこそ、その責務担当者には大きな対価を支払っているのだから。