マニュアルを超えて

某ファーストフードが有名だけれど、いかにマニュアルを整備するのかというのは、仕事の質を均質化し、組織としてのアウトプット、作業としての質を均質化することに非常に効果をもたらすことになる。

ただ、そこまで「ピカピカの」アウトプットに近づけるような「ピカピカの」マニュアルが出来上がるには、そうとうそのマニュアル自体が作りこまれている必要もあり、そのマニュアル自体も薄っぺらなものでなくボリュームが出てくる。となればそれを理解する時間も必要になる。

 

そのマニュアルを作るだけでも実は大変なことだけれども、まぁ努力してそれができた、素晴らしい現場運用マニュアルができたとしよう。じゃぁそこに書かれていること「だけ」をすればいいのか?それで現場は完璧に回るのか、それだけで十分なのか?

十中八九そんなことは「ない」。なぜならば、現実の様々な状況すべてに対応できるようなマニュアルは、存在しない。逆にそのように現実の状況すべてに対応できるように書こうと努力するならば(いくらやっても、それは無理ではあるのだが)、天文学的ページ数のマニュアルにならざるを得ないだろう。

…ということは、「マニュアルに書かれていること」をいかにして、無限のバリエーションがある現場に対応するのか?現場を理解し、マニュアルの言っている事を包含した上で、マニュアルには書かれていないが、自社としての方針に沿ったこと、お客様、相手の立場にたった対応ができるのか?が求められていること。

 

違う言い方をすれば、マニュアルがきちんと整備されていなければ、すべてのことをゼロから考えなければならず、それでは頭もこんがらがるし、人によって差異が出る。だから、最低限、改めて考えたところで誰が考えても同じになるようなところは、最初から考えずにできるように「マニュアル化」しておく。それこそがマニュアル。そのうえで、マニュアルには書かれていない状況、シチュエーションがあったならば、そこを「いかに考えてすすめるか」が、現場に求められていること。

 

マニュアルの意味をはき違えている者は少なくない。
完璧なマニュアルなどない。作れないですよ、そんなもの。だからマニュアルは最低限度だと理解しているか?

「マニュアル通りやりましたよぉ」は、テストで言えば、赤点スレスレ。一つでもミスしていた瞬間にアウトなのだ。だからここでも、マニュアルを超えて、考えることが求められているという事に。