比べますか?

子供のころは、身長が高いほうが自慢できたりもした。小さければチビと言われるが、余程の馬鹿でかくない限りデカと呼ばれることはなく。それだけ大きいほうが価値があった。ある意味、その時代、その世代の共通の認識だ。

中学高校と進むと、デカイだけでは価値にならず、見栄えが良かったり、勉強ができることが必要になってきた。でも、全員が全員(見栄えはもちろん)勉強ができるはずもなく、そうでない者は、たとえば楽器に注力したりする。昔だとギターやピアノ、最近だと当然ながらパソコンやタブレットを使った音楽制作もあるだろう。人によっては絵に才能を示すものも出てくる。すでに作家として立派な方々の中には、当時高校生でありながら、連載を抱えていたような天才もいたりする。別に勉強だけが生きていく手段ではあるまい。
とはいうものの、やはり勉強は勉強で価値があるもの、何らかの勉強をし、専門学校に、大学に、人によっては大学院へと進学して社会人になる。日本においては特にこの一本道を進む人が99%といってもいいのではないだろうか?

 

こうして社会に出て、社会人として一本立ちをする。自分で自分の食い扶持を稼いでいくことができるまでに成長していく。とはいえ、最初から高い給与が得られるわけもなく、最初は切り詰めながらの生活が始まったりする。就職氷河期世代など、時代的に不遇な時代を送った人もいるかもしれない。がそれでも、仕事に恵まれていれば微々たるものではあったとしても、徐々に給与が上昇し、わずかな貯えも出てくる。
最近ではセクハラの流れもあってか、結婚適齢期などという言葉はほぼ聞かなくなって久しい。めぐり合いがあれば結婚する人も出てくるだろう。早めに自分の居を構える人もいるかもしれない。子供ができる家庭もあるだろう。それぞれがそれぞれに家庭を、人生を築いていく。

 

そんなそれぞれの家庭において、「標準の」幸せってありますかね?そりゃぁ、「年に何度かは旅行に行きたい」とか、「月に何度か外食をしたい」とか、細かいものを数え上げればそれぞれに出てくるかもしれませんが、それ、国民の標準的な「幸せ」でしょうか?特にこの何十年か、それぞれのやりたい事を実現しやすい世界になっている。当然それぞれが求めている何かも違うでしょ?

こう考えると、自分で自分の幸せをイメージできているか?という事がポイントに。そう、どうなりたいのか?がイメージできているのか?もちろん、一つの考え方として、「お金がいくらあっても邪魔にはならないから何百億円」みたいな人もいるでしょうが、そんな夢物語を描いても、それは夢で終わるかもしれない。だから描くべきは、「今すぐにはそこには届かないかもしれないけれど、それでも努力すれば届きそうな、なりたい自分、なりたい幸せ」が描けていること。

 

分かりやすいところでは、貯金をこれだけといったこととか、英語のスコアーがこれ以上とか、測れるものは明確な数字を示しておく。そう、これこそが「目標値」。さらにその目標値が「いつまで」という締め切り、日付が付けば完璧だ。これがここ数年前から「夢を現実化する手帳」みたいなことを言っている人が提唱していることでしょ?そうするからこそ自分の夢が、夢物語に終わらない、現実化できる夢が、5年後?10年後にターゲット化できていること。

これが示せれば、あとはそれをブレークダウンしていく。たとえば5年後に、今より英語のTOEICの点数を300点上昇させるには?と考えれば、単語力が必要、文法の理解が必要、読むスピードが必要、ヒアリング力が必要…など、個別に実現しておかなければならない項目が出てくるもの。それもいきなり点数を上げることは無理なので、最初の1年で単語力が今より3000語増えている…などと、ステップを刻むことに。いきなり大きなステップは無理でも、小さくステップを刻むやり方がわかれば、すすみかたがみえてくる。

 

だからこそ、自分の夢を、誰かと比べても仕方がない。自分の幸せを誰かと比べても仕方がない。時の収入や貯金で比べる人もいなくはないけれど、それを「どう使うか」も含めての幸せや夢のはず。金額だけを比べてみても意味がない。なりたい、それこそ目標とするモデルがあるのは良いけれど、つどつど誰かと比べ続けるといった無駄な比較はやめたほうがいい。
それよりも、自分のための未来の自分のイメージをしっかりと固めること。しっかりと考えておくこと。

だって、あなたの人生の目的が「あいつより幸せ」である人生を送りたいわけではないでしょ?