効率化された未来

休暇中、有名書店のアルバイト店員が辞めたというBlogが話題になっていた。

どうやら本社からの指示に従うと、その現場(大学内の本屋)の要求にきちんと答えられず、現場からは意見を上げるが、画一化したい本社からの指示は変わらず…という結果らしい。

 

残念だ。そしてそういう声がネットの声として上がることが多いし、現に上がってまとめサイトもできていた。もちろん私も信条としてはそちら側なのだが、あえて反対側を考えてみる。

 

本屋に限らず、大企業において、細かな対応をして、それに見合う高い対価を皆さんからいただくことがむつかしい時代。であるからこそ、大規模にビジネスを展開していることによって効率化を目指す必要も出てくる。
荒っぽい言い方をすれば、すべてのサービス、すべての店舗の状況を画一化し、すべてを同一化して扱うことができれば、これで一つの効率化が図れる。今回の店舗はまさにそういう意味では異端の店舗であり、その企業(書店)としては「ほかの大きな効率化の上において、ここを見切ることはやむなし」の結果そうなったという事なのだろう。

 

本屋の話に限らず、こうした末端の店舗のサービス状況にあわなくなった「大本営発表」に従わざるを得ない状況はどこの会社においてもある事。要するにその会社がその現場の独自性のビジネス、その店舗を見限ったという事だ。経営サイドとして効率化を図るという事は、無駄をそぎ落とすという事の結果だろう。

なのでさらに逆に考えれば、本当にそこに「そのレベルの商品、サービス」を必要とするのであれば、それを提供してくれる別会社、別企業にサックリ切り替えるしかない。現代はそのレベルのサービスを受けるには、コストがかかるかもしれない、という事。

これはお店と利用者の関係のみならず、雇用主と労働者サイドにおいてもそうだろう。会社の方針として「このビジネスはやめることにしました」となれば、さっさと辞める事が必要。…なのだが、これが進まないのは、逆にそうしてやめた人を受け取る受け皿がなかなか見つからない事、雇用流動性が低いという事、さらに、ないと運営できない、でも高い対価は支払えないという事が問題となる。

(ある意味、自然物、食材などはわかりやすく、いくら努力しても、この時期カニは取れないとか、台風で作物被害が出たら、単価は上がらざるを得ないのだ。そうした価格の上下は許容するも、人が究極まで効率化を図るところは、ねじ込んででも安くしろ!なんて言うところが難しく…)

 

ただ、昨今の一つの流れとして、そうして受け皿がない場合、「じゃぁ自分で会社立ち上げちゃう」という人も出始めている状況。求められている場所があるのなら、たとえ小さくともそこでそういう形で提供することを、大本営と切り離して、こじんまりと始める。

たぶん、超巨大になった極限に効率を求める社会の反対側として、こういうビジネス運営の仕方はなくならないだろう。それどころか、小さなこうした同じような、でもひとつずつちょっとずつ違うサービスは、これからもどんどん出てくるのではないだろうか?だからこそ、amazonしか生き残らないことはなく、必ず細かなニーズに対応する小さな企業、サービスがひつように。

その意味では、今までにはなかった仕事はこれからも増え続けるだろう。〇〇屋さんとひとくくりにできない小さなサービスはこれからもどんどん増えるだろう。いわば、今はないサービスでも自分が欲しいものがあれば、それはチャンスであり、もしかすると新たな市場創造かもしれないと言うこと。

ほら、あなたならどんなサービスが欲しいですか?