価値の時間軸

すでにケータイに、スマホに搭載されたカメラが山のように出回っている時代。これほど「写真」が撮りまくられ、共有されている時代は、まず間違いなく過去にはなかったはず。

 

とはいえ、当然ながらそうしてとられた「すべての写真」が、意味のある素晴らしい写真のはずはなく、中には価値ある一瞬をとらえた写真もあるだろうけれど、大半が撮るに足らない日常の写真。ランチの一品や、友達とのふざけ合った瞬間をとらえた、他愛のない写真が、デジタルデータとして、Twitterで、Instagramで、facebookで情報発信されていく。

 

なんでそんな詰まんない写真撮ってんの、無駄無駄(失笑)。

確かに、今その写真を撮って、直後に見返してみたとしても、たんなる普通の量産品だとか、当たり前の風景だとか、そんな写真にすぎないだろう。そこにその瞬間に、その写真の価値を見出す人は、その中に移っている人や物に関係している人だけかもしれない。

 

…でも。

写真の価値は、それを「見返した時」に生じているんじゃないだろうか?たとえば今そうして撮った写真を、10年後に見返すと…、50年後の人がそれを見てみると…。

「おぉ、2018年の人々は、こんな環境で生活していたのですね」と、時代の空気、雰囲気、建物、環境等々がそこから読み取れることに。
個人でもありませんか?アルバムを整理する一環で、子供のころの写真を見つけたときに、あぁあの頃はこうだった、こんな感じだったよねと 

 

写真の価値は、見る時に生じるという事。だから「撮った時の価値、感覚」だけ、で測っちゃいけない。