成長の限界

個人にしても、組織にしても、当然ながら成長する。…が、個人も組織もどちらにおいても、メキメキと成長する時期もあれば、なかなか成長に結びつかず、踊り場状態で悶々としているところもある。

 

個人において、誰も「成長したくない」と思っている人はいないだろう。ただ、こういう風に考えて人はけっこういらっしゃるのではないだろうか?「失敗はしたくない」。

失敗せずにすべてがうまくいくという事は、人生においてまずありえない。極端に言えば、赤ん坊の時代から考えて、転けずに、躓かずに歩けるようになった人はいないのだ。「いや、こうしたここでは、失敗無く…」という事例があったとしても、それは一つは偶然なのか、もしくは、実は先達がきれいに敷いてくれていた「レール」の上を走っているに過ぎないからこそ、失敗せずに、非常に効率よく成長できたに過ぎないだろう。

今更言及するまでもなく、失敗があってこその成功、失敗すること自体が、「これをこうしてはいけない」という事を学び、成長しているポイントでもある。

 

しかし、社会に出てからこっち、やはり「失敗」はしたくない。とはいえ「現状」は打破したい。そんな人は、小さくとも挑戦し、いろいろ失敗しながら進んでいく、成長していく。
ただ、それもいつしか、「失敗して痛手を被る」ということと、「このまま、現状のまま進むこと」を秤にかけ、「まぁこのままでもいいかな」と思った瞬間に、たぶん成長が止まる。この天秤が傾かなくなるのがいつなのか?人によっては早々に。人によってはいくつになっても勉強だ、挑戦だと若手と張り合うことで生きがいを得ているような方もいる。そう、そういう人はいつまでも気も心も若く、たぶん、気持ちとして、心として成長し続けているのだろう。

 

組織において、そうした血気盛んな先達が率いるところは、たとえ長年社長が変わらずとも、どんどんと成長していく。
だが、社長が長年変わらずに成長が踊り場に来ているところは、なんらかのその上層部の意識が止まっているという事。成長の限界、リスクを取らずに行くことに甘んじている者たちが、物事を決め、差配している事態になっているという事。

「口では」挑戦だ、トライだ、新しいことを開拓だなどという人はいる。だが、じゃあということで下から「今までにやっていないこんな新しいことは?」と上げても、実はその上層部がイメージする方向での何かにつながらないのであるならば却下!という場合、事実上、それはもう成長の限界に近いのではないだろうか?

 

だからこそ、成長させるという事はむつかしく。後継者選びやビジネスの継続というのは盛者必衰であるゆえんなのだけれど。