ますます失敗できない国

日本は、いわゆる学歴社会として成り立ってきていて、いい学校を出て、いい会社に入って、いいポジションについて…と出世コースを歩むというのが、王道のコースだった。そう、すでに「だった」と過去になっているのは間違いない。

すでに学校は、高校進学率は限りなく100%に近づき。大学進学率にしても、定員枠で考えれば、レベルはどうあれ、大学はどこかに入れる「全入学」時代に入ってしまった。

とはいっても、就職ではしっかり優劣を見られるため…と思っていたが、昨今の人手が足りないこの時代。誰もが引く手あまた(というのも実はからくりがあるけどね)という事に。

 

でも会社に入ったら、多くの会社が「減点主義」。何かに失敗したから一つ減点、二つ減点で、結局、「汚点」「減点」が少ないほうが出世する。これ、裏を返せば、多くのトライをせず、いかに無難に歩んできた会社員生活を送ってきたほうが出世する…という事にもなり、すべてそうではないにせよ、毒にも薬にもならぬやからが昇進していく道。

逆に言えば、失敗は一度でもしたら、(加点主義ではないため)決して盛り返すことができない、取り戻すことができない状況になってはいないか。もっと言えば、失敗できる時期には限りがある。余裕がある時期であるからこそ何度かの失敗でも許される。それができないほどに追い詰められると、失敗はおろか、失敗したら後がない…ということじたいが、せいこうかくりつをさげていく。

これは大変なことですよ。一度でも失敗したらハイさようなら…になりかねない。だから誰もが失敗を恐れる。チャレンジしなくなる。

 

そう、本当にチャレンジしてほしいなら、曲がりなりにも加点主義、加点ポイントがある仕組みに変えないと、失敗しても盛り返せるようにしないとはじまらない。評価の仕方が変わらない限り、ここは絶対変わらない。明確に成功を取り上げる、掬い上げる言動、活動があってこそ、それが動機となり組織やチームが動き出す、これらをキチンと評価軸だと宣言し周知する事。

逆に言えば、言葉だけ「挑戦しなさい!」と唱えていたところで、実質減点主義が色濃く残り続けている組織や会社であれば、誰も「挑戦」などしない、いや、「挑戦しているふり」はしても、本当に「意味のある挑戦」になっていることはまずないだろう。

 

すでに、ビジネスは直接的、間接的に、他国と勝負をする時期に。そんな他国において、加点主義、挑戦奨励、失敗を糧としてメキメキ成長する企業と競争していくのに対して、今のやり方で、今の鼓舞の仕方で正しいのか?誰と競争しているのか、させたいのか、リーダーは、役員は、再認識したほうがいいのではないだろうか?

あぁ、それは政治も…(ry