かみしめる

コンテンツが大量に消費される時代。

テレビの視聴率が以前に比べて下がっているのは皆さんよくご存じだと思われるが、その理由の一つは「スクリーンの数が増えたこと」ではないだろうか。すでに関東地方では、スマホタブレットで映像コンテンツを見ている皆さんがたくさんいる。電車の中で、カフェの中で、ダウンロードした、もしくはオンラインストリーミングで映像を見ている。

 

こうしてコンタクトポイントが増えたことにより、あるシーズンに作られるコンテンツ、ある1シーズンに作られるアニメの数は、明らかに増えてきている。見ている側のユニークな(重なりのない)視聴人口が、そうそう増えているとは思えないことからすると、多くが一度だけみて次へ、という流れが多々あるのではないだろうか?

 

(今もあるにはあるけれど)昔は、再放送枠が明確にあった。平日夕方や日曜のお昼といった時間帯は、以前放送したコンテンツの再放送で埋められていることがあった。しかしこれだけ新作が乱舞すると、再放送枠を確保するのも一仕事。結果として、一度流れてハイおしまい、というコンテンツが多く生まれているのではないだろうか?

 

そこで思うのだ。そんなすべてのコンテンツが、一度見ただけで正しく評価できるのだろうかと。たとえば、すでに連綿と30年以上にわたりシリーズが続いているガンダムだが、最初の本放送枠での視聴率は悪かった。(これは映画ではあるけれど)カルトムービーの名をほしいままにしているブレードランナーも、最初の興行収益は悲惨なものだった。ガンダムは映画化、同時にプラモデルが大ヒットしたのを受けて盛り上がる。ブレードランナーはその後のビデオ全盛時代、映像媒体の発展(レンタルビデオ、LD、DVD…)と相まってカルチ人気に火が付いた。

要するに何回か見直すことにより味が出る、かみしめることで味わうスルメのような映像作品が、今、受け入れられる土壌が、時間がどのくらいあるのか?

 

…であるため、一度目の印象がインパクトがあるもの、濃いものが好まれたり。でも、濃いものであればあるほど、それが続くと「しつこさ」が感じられることにもなる。繰り返しはきつい。美味しい料理は、ちょっと物足りないかちょっと薄味か?と思えるくらいのものが何度も味わうことで滋味深さを感じたり。映像も、噛みしめる、深く考える余地が必要なのではないか?いや、実は今の作品もそうなっている作品が中にあるのに、気づかずにスルーしていないか?

そんな余裕すらない社会なのかな。