出会う機会

最近の学生で、「紙の辞書」を使う方はどのくらいいらっしゃるのだろうか?電子辞書が出て久しい。もうほとんど電子辞書、もしくはネットに直接訪ねるのがスタンダードなんだろうか?

 

電子辞書のメリットは、軽い、便利、発音等も聞ける…だろう。すでに発音が聞けるところなど、絶対に紙の辞書にはまねができなくなっている。それに対してデメリットもなくはない。よく言われるのが、「それを引きながら、周りの情報が目に入らない」ということが言われる場合がある。
確かに、紙の辞書の場合、パラパラとめくる間に目に留まる「当初の目的ではない言葉」に心惹かれて寄り道をすることが、後々につながる何かになることもあるかもしれない…。だが、本当にそうだろうか?とも思う。それよりも、紙をめくって探し当てる時間が短くなって、いくつも探せることのほうが意味があるのではないだろうか?さらに言えば、そんな電子辞書があるのかどうかは知らないけれど、Amazonで実施されているようなリコメンドとして、「この単語を引いた人は、これによく似たこんな単語、これも一緒に探していることが多いです」といったことを、たとえばネットで共有したり、もしくは自分の検索履歴をもとに単体機器上で自己学習の上でリコメンドしてきてもよいはずだ。

 

紙の辞書でも、電子の辞書でも、重要なのはそちらではなく、「自分が意図しない何かに出会う機会」をどのように扱うのかが大切なのではないだろうか? 

 昔なら、趣味の集まりに「出かけて行って」人と出会っていた。今でも続いている有名どころはたとえば夏冬のコミケなどだろう。そこで出会うものは、すべてが自分のお気に入りではない。けれど、「今はお気に入りではない」かもしれないけれど、もしかしたらそれがきっかけで今すぐ気に入るものに変わるかもしれないし、後々お気に入りになるかもしれない。そんな出会いをいかにして作り続けるか。大切にするのか。ものの出会いも、人との出会いも、もちろん両方だ。

 

今興味がなくても、いずれこちら側からアプローチしたい人が、いや、こちら側は何とも思っていなくても、向こう側からアプローチしたくなる何かがあれば、それを契機に物事が動き出す。中には大きなビジネスにつながったり、人生を左右する人物と出会うかもしれない。

 

だから、意図して出会いを作っていくこと。出会う場に仕向けること。
たしかに最初はおっくうで、腰が重いのだけれど。 

色々な意味で、人生がかわる、未来が変わるよ。

幸せは、歩いてこない、だから歩いて行くんだよ。