忠誠心、キャリア

いま日本で壊れつつあるのはこれではないかという気がしている。それは忠誠心。

 

いや、そのその原因としては忠誠を求めるもの、求められるもの、双方にあるのだと思うのだけれど、昨今際立って目立っているのは「忠誠を求める方の裏切り」による崩壊ではないかと思う。違う言い方をすれば、それを求められている方の堪忍袋の緒が切れた感じかも。

 

一部のズル賢い悪徳起業家を除けば、ブラック企業ブラック企業になりたくてなったとは思っていない。だが昨今のような日本の経済状況の中で、全然景気が上がらずに、でも企業としては生き抜いていかねばならない状況に陥った時、「上司」は「部下」に対して、過剰な忠誠心、それは無理をしろ、体を壊すほどにまで頑張れ…と檄を飛ばすことで対処してきた現実。いや、多分その上司が、それ以外の対処方法を知らなかった、勉強不足、力不足は否めない。だがそれは道理的にも道徳的にも無理な側面がありながらも、上から下への命令として指示が下る。いままで当たり前だったものが一気に無理な命令に変われば、「いやいや、それは無理ですよ」と口答えもできたかもしれない。だが、徐々に徐々に、その無理の範囲を広げられることにより、少しずつ詰め寄られることによって、前もやったから今回もできるでしょ?と寄り切られる。ようするに「茹でガエル状態」に近く、ふと気が付くと逃げられない、引き返せないところにまで追い込まれているという事。

 

早々に、忠誠心という縛りをほどいて逃げ出せたものもいるだろう。けれど多くの日本人は、まぁ今回くらいなら、ちょっとくらいなら…と、結果的にこの20年を過ごして来てはいないか。そう、もうこんなじんわりと茹でられてのぼせ上がって脱出も復活もできないリミットが、組織単位のみならず、国全体として近づいていないか?

 

もちろん、その指示を出すことを原因として心を病んだ上司もたくさんいただろう。でもそうした人が抜けた穴を、忠誠心をいいことに武器にしてきた、ブラックにしてきた人がたくさんいたのではないだろうか?もしその時点でそんな人が少なければ、少なくともこれほどまでにブラック企業、ブラックな仕事が増える土壌にはならなかったはずだ。その意味では、ある意味での事実上間違った個人主義、俺さえ良ければ後は野となれ山となれ、という極端な考え方で、弱いものが完膚なきまでに使いたおされる。

 

結果としてブラック企業やブラックバイト、働き手の側の忠誠心をもてあそんできた結果がこうして目に見える形に、言葉になってしまったことにより、資本家と労働者との間に埋めがたい溝が生まれてしまった。そしてその結果を正しく埋め戻せないまま、たぶん多くの会社が正社員から派遣社員に切り替え、目先のコストダウンに走ることになる。

 

これをもってして多くの人々が、自分の将来の雇用を憂う。自分はこの先も働けるだろうか?そんなに特殊な能力、抜きんでた技術があるわけではない…と。
これにより少なくない人々は、自分自身の実力を良く知らず、安く搾取される仕事を甘んじて受けることにもなるだろう。だが逆に自分の力に目覚めた、気づいた人は、それを機に高く売ることができるかもしれない。

別に「世界にナンバーワンのひとつのスキルをもて」と期待されているわけではない。総合的実力として力を持てばよいだけだ。いかにそれに気づけるか?

 

それに多くの人々が気付いてしまった世界は、たぶん、それはそれで、雇用費用が高止まりする世界になるかも知れない。なぜならばそれほど素晴らしい技術、技能を持った人々なのだから。逆に言えばそうでない人々は安く買いたたかれる。
自分をどう作るのか、自分の人生、キャリアをどうイメージしていくのか?これまでのざっくり50年では「会社」が人生を作ってくれてきた側面が大きくあった日本社会。だけれど、もうそれでは立ちいかなくなっている。逆にそうしたイメージを親から刷り込まれ、これからもそうだよね…と信じているようでは搾取されてしまうかもしれない。いかに自分で道を作っていくのか?それぞれに自分の人生を作ることが、今まで以上に求められている気がしている。