終身雇用崩壊にはじまり

すでにこちらでは何度も書いているけれど、日本の終身雇用制度は、もうすでに形骸化している。一部公務員などには残っているのかもしれないけれど、多くの企業においては、割増退職金を積んだ「金銭解雇」は当然のこと。

 

日本においてよくあるのが、「文面上認めていない」けれど「事実上横行している」という事。外国人労働者でもそうだし、もうすでに日本は国連基準からすると、外国人労働者を大量に受け入れている国の一つに他ならない。

日本人が海外へ行って「いや日本は受け入れていないから…」などとスタンスの話をするといきなり話が困窮する。それほどまでに日本はダブルスタンダードに見える側面を持ち合わせている。

 

これは私は子供のころから思っていた。ルールがあるのにそれを時に破る大人がいる。それは守るべきなのか、破ってもいいのか?大人に聞くと「その時々で判断しなさい」なんてややこしい事を言う。もうそれ、ルールがないに等しいじゃないかと。

だが大人になればなったで、その意味合いもわかる。すべてを規制すると、それはそれで厳しすぎる。場合によっては許してもよい側面もなくはない。だが、基本姿勢としては許されないにおくべきだ。こういう状況はどこにでもある。であるがゆえに「例外のない規則はない」ともいわれるという事。

 

たぶん、何十年前はそれでもうまく回せていた国、それが日本だ。だが、そうした例外を設けた瞬間に、多くが冷害に気付き、その例外によるメリットを多くが享受し始めると、そもそもその時点で例外ではなくなる。というところからルールが破綻するのだ。

かといって、厳しすぎるルールは、手間を増やすばかり、やりたい事の本質にたどり着けずに全員が不快感を示す。

 

要するに、ルールを作る側のみならず、ルールを使う側も「節度をもって」使わなければ、結局のところギスギスした世界になるという事。

使うほうも頭がよくなくては成り立たない世界、それが現在ではないのか。

裏返して言えば、それが使えるほどに、使う側の頭は良くなっているのか?よくなる努力をしているのか?