情報の賞味期限

ネット上の情報、記事、つぶやき等々は、基本的にそのサイトがなくならない限り、物理的に閉鎖しない限り、永遠に残り続ける。最近の「攻撃」の傾向として、そうした過去における記事、事件、つぶやきで、当時のコンテキストを無視してやばい部分だけをあげつらって相手を貶める、という事が出てきているようにうかがえる。

これ、大丈夫だろうか?

 

もちろん、良い面がなくもない。そうしたいつまでも記録に残るからこそ、抑止力として働くというのはよく言われることだ。

 

だが、良いことであれ悪いことであれ、情報には賞味期限というものがある。対比するには良いたとえではないと分かりつつ書いてみるが、犯罪だって時効という期限がある。そんなに長い期間を経てまで問われ続けない事もあるという事だ。

 

ネット上で取り上げられた些細な内容、つぶやき、投稿にかんしてまでそうして監視されたり掘り返されたりすると、今の風潮では、確かにそれがわかってしまっては対処せざるを得ないとなるのかもしれない。だがそれが過剰に働きすぎれば、やがては自分たちで自分たちの口を閉じざるを得ない方向へと進むのではないだろうか?

 

いや、これとて「最初にやるやつ」は得をするのだろう。だが「みんなでやり始めた瞬間」に全員が不利益を被る。まさに囚人のジレンマそのものだと思うのだが。それを最初にやったやつが、完全に悪ではないところが難しい。でも明らかにその道を突き詰めすぎると、自分たちの首を締めかねない技術ってありますから。