ネットによる分断

ネットが発展してきて、SNSなどが誰もが使えるようになり、そしてスマートホンを普通に誰もが使える時代になったことで、とても便利になった反面、結果的に誰もが無口にならざるを得ない時代に入り始めている気がする。

 

自分の意見を言いやすくなった…がために、誰かに攻撃されやすくなっている。だから誰にも傷つけないように配慮しながら…となると、そもそも発言自身が言いにくくなる。万人に受け入れられて、誰からの反対も飛んでこない意見などありえない。それぞれに利害が微妙に違い、であるがゆえに誰かの利益は誰かの不利益につながる。
これらを考え合わせると、そもそも意見を言うこと自体が面倒になり、じゃぁもういいか…と何も言わなくなる、言えなくなる。

そう、自由になったから、便利になったからこその、言えない世界、言いにくい世界が広がりつつある気がしている。

 

対策は?というと、これまた根本的対策がむつかしいというのが常。言論を統制するわけにもいかず、どの意見は良くて、別の意見はダメ…は困難だ。

 

あくまで私の個人的印象だが、これは昔ながらの日本ではなく、欧米の色合いの濃い、意見交換の場だと感じている。
昔の日本は、それぞれに意見は持っていたものの、(当たり前だが)それを公に表明する場もほぼなく、それぞれの意見がそれぞれの個の中に押し込められていた。「サイレントマジョリティー」という言葉があったことが象徴するように、皆の意見は、暗黙の段階で黙って共有されていた。もちろん当時にも自分の意見を公言するものもいたわけだが、どちらかといえばそれは庶民的やり方ではなく、過激なやり口に見ていた人が少なくなかったように思う。

それに比べ、今はだれもが口にし始めている。システムが簡素化し、ツールが行き渡っていることによる簡便さが、このような、ある意味安易な環境を生み出している。
無視し続けることもできなくはない…。が、それは現状においては敗北につながりかねない。正しく反論せざるを得ず、このエネルギーは膨大な時間と労力を必要とする。

 

であるからこそ、一般素人は黙り始める。SNSは炎上するから見るけど意見は言わ…というひとえ、あなたの周りにいないだろうか?もういいか。めんどくさいか。そして個は黙り始める。声の大きいもの、そこにエネルギーをつぎ込めるものだけが社会をドライブし始める。

無視したいわけではないが、他の良い施策がなくて黙り続けている人々。

大丈夫だろうか。日本。