不満を吐き出す場所

それは何の変哲もないいつもの集まり。たまたまその場を仕切っていたのが私の時だった。その中のとある老人に結果的に吹っ掛けられた。

 

彼は語る。最初は何のことはないどこにでもありそうな問題を話しているように見えたのだが、どんどん聞いていくうちに、その当人の愚痴になっているのを感じた。最後の一言がこれだ。「この私の不満がわかりますかぁ!」と。

その場は、正確には、実はその老人が話し出した内容を話す場ではないし、その人の怒りの矛先を向けるべき人物が出ている会ではなかった。だが当人は話したかったのだろう、不満があったのだろう。その場で吐き出したかったらしい。

さらにその不満はとんだところと繋がる。どうやらその老人の抱える他の不満の種と結びついて、当人にとってやり場のない怒りに変わり、興奮し始めている。そしてたまたまその場を仕切っている私に向かって「こんな約束事すらきちんとしていただかないと困る!」などと怒りを発する。私は彼とそんな約束すらしていない、まったく別の人との間の件にもかかわらず、だ。

 

いや、それ、私とは直接の関係は何もないのだ。が、そうして興奮し怒っている。どうしたもんかと数秒困っていたところ、そのほかの参加者の方々もそれを察してか、まぁまぁと合いの手が入った。簡単には収まらなかったものの、何とか事なきを得た。

 

 

よく聞くのが、年寄りになると不安になるということ。これは金銭的、経済的な不安もあれば、情報が足りない事、自分がのけ者にされているかも知れないなどという思い込み、さらには自分の立場でのみの思考に固まってしまい、自分が思ったように周りが動かない、世界が動いていないことに対する不満を抱え、時に爆発させる。いわゆる認知症ではないのだろうが、正しい場において正しい話題ができないと言うのは、その走りではないかとも感じてしまった。

 

ただでさえ、今の年金生活者世代は金銭的に恵まれていることを知っている労働者世代、若手世代は、そうした不満を聞くとうんざりなのだ。あなたは将来の我々に比べれば恵まれているはずではないのか?そんなあなたが言うなとも言いたくなる。だが、歳をとり、世間との接点も少なくなり、不安が不満に変わることがあるのだろう。それを「周りの人々」にぶつけたくなるらしい。だがこれは結構つらい。

 

いい老人になるには、良い歳の取り方をするには、これからの日本を考えると、この重要性かつ難しさをひしひしと感じる。理不尽なクレーム、無理強い、場合によっては暴力等々。日本の未来が恐ろしいことを感じる。

 

まずはこの言葉こそ撲滅すべきだろう。

「お客様は神様です」

いや、そこに上下関係はないだろう。尊敬や尊ぶ事は、尊敬されるものから押し付けられるものでは無かったはずなのだが。