私だけの

最近、雑誌すら買わなくなって久しいのだけれど、おいしいお店特集や、すてきな雑貨や特集などというのが、定期的に繰り返されていた記憶がある。

きっと編集者が街へ出て取材したりした結果なのだろうけれど、それでもネタが尽きだすと、有名人の隠れ家的なお店や、行きつけの素敵な店…などが取り上げられる。

個人でもきっとあるはずだ。あそこのお店は空間が居心地がいいとか、メニューがいいとか、料理がおいしいとか。そうしたちょっとした「私だけの」価値観。

 

でも、昨今ではもう事実上「私だけ」の価値観は存在しえない状況になっているのではないだろうか?

分かりやすいところで言えば、食べ物屋やレストランという職種に限ると食べログなどのサイトで評価され、病院は病院で、さらには内科、小児科、眼科、歯科といった区分に分けて評価され、さらにそうしたジャンルに限らず、私のお気に入りの店、場所などが(日本ではまだあまり目立っていないようにも見えるが)Yelpなどで網羅的に評価されて共有される。

もう、身近な誰かとだけ共有することは、たぶん事実上無理ではないだろうか?

 

それに加えて別側面から、日本人的行動?が悪影響を引き起こす。すでにネット以前、テレビの時代からあった現象だけれど、マスメディアに取り上げられた場所やお店には、人々が一気に押し寄せる。最近は、ネット上で話題になった情報を、テレビが後追いで拍車をかける役目を担っているかの如く、一気に怒涛の流れとなって押し寄せる。

それに耐えられるような場所やお店ならまだよい。だが小さな店、限られたスペースなどの場合、そうした人々が一時に一斉に押し寄せる量をさばききれない場合はある。
さらにその怒涛の流れは一過性であり、長くて半年。1年もすると昔の閑散とした場所に戻っていることも珍しくない。

 

商売をする側の視点で見るなら、そういう押し寄せてくるような店や場所のオーナーは、人が増えること自体は歓迎するのだが、徐々に増えるとか、今後継続的に絶えず増えるとかならともかく、要するに太く短くよりも、細く長く続くようなものを期待しているのではないだろうか?

「イナゴの大群」のごとく、メディアに煽られた人々が一気に押し寄せ、その場にあるものをすべて食い尽くして過ぎ去って、再び訪れる事はないような、こんなブームの作り方に飽き飽きしているのではないだろうか?

 

それを知っているオーナーなどは、取材お断りの店などとなっていたりして、知っている人だけが使い続けられる店を保っていたり。…なのだが、もうマスメディアのみならず、個人からマスへ向かって発信される情報は抑えられない現状。

要するに「私だけの」という価値観を少なからず自分たちで保ち続けられる価値観や、それにつながる行動こそ、教育して個々人が自律的に考えていかなければならない時代に。

 

そう考えていて思うのは、もっと高校あたりの数学などで「囚人のジレンマ」といった考え方は教え込んでおいてもいいと思うのだけれど。皆さんご存知ですか?自分としての最適化ばかりを考えるだけでは、けっかてきにえ、全体として見ると、全然「おいしくない」ですよってことのはずなんですけどね。