使いこなす、と、満足

スマホタブレットをお使いの方は多いだろう。もうそれなしには生活できない人もいるに違いない。私ももちろん同じなのだが、中でも皆さんと同じように、時々写真を撮ったりするのを楽しみにしている。

別にプロ並みだとも思っていないし、TwitterInstagramに投稿するほどの出来栄えでもない。だが自分で満足できる構図で、イメージした通りの写真が撮れたりすると、ちょっと印刷してみたりもするし、ちょいと加工して楽しんでみたりもする。そんなことをして小さな自己満足に浸っているだけなのだけれど、時々それを見た知人、友人がこう言う。

「すごく使いこなしてますね。」

ただ上記にも書いたように、特別なことは何もしていないので、こう答える。

「いや、おなじ機種を持っているあなたにもできますよ。」

「でも私には技術もセンスもないので…」

 

デジカメなのだから、撮った後、あぁ失敗したと思えば削除できる。基本的に費用は掛からない。だれでもできる作業に他ならない。けれど多くの人はやろうとしない。

なのでその人に尋ねてみる。そうして撮れていないことで不満ですか?満足できていませんか?もしそうなら、手元に機器はあるので、まずやってみればいいのでは?私でよければ教えてあげますよ。

それでも行動に移す人は少ない。なぜか?たぶん、「今のまま」で満足しているのではないだろうか?写真を撮らない自分でも特に不満がないのではないだろうか?
けれど、そんなとき、自分では撮らないけれど自分以上に写真を撮る人がいて、それをもって「使いこなす」と言っているだけ。

 

少なくとも、自分が「やりたいこと」ができていれば、それでよいのではないだろうか?やりたくない事までできる必要はない。ただ、「それもできるとは知らなかった!」と知ったことで、さらに使いこなしたい!それがやりたい事!というのなら、そこから行動につなげればいい。それをしないのなら、今のままの満足で構わないという事。

 

なので私は無理には勧めない。撮りたいのならやってみれば。私が知っていることはいつでも教えてあげますから、とお伝えして。

そして思う。実は私も含めた多くの人は、本当に自分がやりたい事、満足したい事がわかっているのか、考えたことがあるのかな?と。