自発的行動

ボランティア。

基本となる英単語には、「自発的行動をする人」以上の意味はもともとなかったはずだ。なのであえて確認のために書くけれど、有償でやるのか無償でやるのかといったことは、この言葉の上だけでは、何ら定義はない。

 

ただし、国語辞典を引くと、どうやら今の日本語では「自発的」から引き続いて、無償の奉仕行動という意味に拡大している部分があるらしい。

 

もちろん、無償のものもあるだろう。だが、ここだけは押さえておきたいのは「自発的行動」である事だ。いわばそれをやるもやらないも本人の自由、それこそがボランティア。もちろん、やってくれたみんなには、少しでも何かを還元したいという事で、インセンティブをつけるのもあるとは思うが、「それをしなければ、必須の単位がもらえない」というのはもはやボランティアではないでしょ。それは何かを人質、物質にとった強制ではないのか。

ただよいひとがおおいせかいでは、そこまで言うならと無償奉仕する人がいる。まさにボランティアなのだが、それを良いことに「やり甲斐を搾取」しているところも散見する。

 

こうしたものはほかにもあり、PTAなどもここ何年も議論の対象になっているひとつだろう。すでに、皆さんがお互い手助けし合って運営することでより良い組織運営を目指すという目的から、「PTA」という組織を運営すること自体が目的になっていたり、さらに言えば、そこに権力や権威がくっついてきたり。

 

もう「多くのずる賢いもの」が、目の前のことをやり遂げることに事象を矮小化し、目的から外れている行動をしている暇はないはずなのに。こうして「個別最適」しかできなくなって、全体最適がされない世界は、やがて極小化し、滅びの方向へ歩みだしているんじゃないかと orz。