オタクのポイント

1980年ごろは、テレビ版、機動戦士ガンダムが終わったあたりから、アニメがどんどんと勢いを増しだしたころ。宇宙戦艦ヤマトでアニメが子供のモノから市場が広がり、アニメ雑誌が次々に出始めたころ。(そこからつながっているのだから、アニメージュなどは息が長い雑誌だ)

 

それまでは、今でいうアニメーションを「テレビ漫画」としかとらえられておらず、そんな内容をネタに、具体的に話を深めたりするころもなかったところが、その作品をもとにいろいろと語られ始め、それらに自分としての考えをまとめたり、仲間内での雑誌を作るという同人誌活動が動き出し、今のコミケにもつながっている。

 

そうした活動をするものを当時はまだ「オタク」と呼んで、蔑んだ意味を含んでいた。なんでそんな「テレビ漫画」ごときで色々話せるのか、話せるほどの意味があるのか…という意味だったわけだが、そこから何十年も経った今、アニメーションこそが海外に誇る日本の文化…などと手のひらを返しているのは片腹痛いわけで。

 

もっといえば、そうした「オタク」という呼称も、昨今はさほど蔑んだ意味を持っている場合は少なくなっており、どちらかというと、専門家的意識で、そう呼ぶ人、呼ばれている人が多いのではないだろうか?

アニメに限らず、〇〇オタクという言葉で呼ぶことで、その分野に関して、自分の価値観、良い点、悪い点という観点で、価値基準を持っていたり、情報を集め、自身で判断していることが少なくない。

たぶんそれは、私を含め、誰かのためにそんな情報を集めたり、誰かのために判断しているという観点よりも、そもそも、自分がそれが好きであり、それをすることが自分が楽しい、そうした自分の好き、自分の幸せを知っているというところがポイントになっている気がしている。

 

昨今の、自分独自の特色、他人とは違う何か…などという事を吹っ飛ばして、自分視点で、自分の楽しい、自分のやりたいを突き詰めた結果がそうなっているという事の重要性。
それが、たとえば少年でありながらプロゴルフプレイヤーになったり、将棋の棋士として実力を発揮したり…という形となり、具体的に「お金」という事につながる人もいれば、「お金」にはつながらなくても、趣味として、自分の楽しみとして、成就するひともいる。

 

だけど、あくまで「今は」お金にはつながっていなくても、将来はどうなるかなんて、今の世の中、未来が見通せるわけもなく。昨今のAIの進化からすると、今は仕事になっていても、5年後にはその仕事は人間の仕事ではないことになっているかもしれない。
逆に、今はそんな作業自体、仕事としては成り立たなくても、5年後10年後には、それが立派な仕事になっている可能性だって、たぶんにあるわけだ。だが、「その時」になって、それを始めているようでは遅い。

 

だから、好きなことをして何か形ある成果を作り、それにのめりこむこと、誰かに説明したりできるくらいに突き詰めていくこと。そうした「あれに関しては〇〇さんに」といった、自分が楽しめることを突き詰めることこそが、ポイントかな。

そして、運が良ければ、それがビジネスに「も」なるかもしれないというだけのこと。