どうして分かってくれないんだ!

いくら説明しても、いくら事例を交えて話しても、まったくわかってくれない人がいる。「どうしてわかってくれないんだ!」怒りと、悲しみと、徒労感に見舞われる。

 

組織で、仕事で、そんな場面は何度も経験したし、何度も見てきた。
その後の行動として、次の二つがある。

 

…と、相手がいくら説明してもわからない。あいつ、頭が固い…

などと「相手を批判すること」に終始する、のがひとつ。

 

…と頑張ったけれど、なぜわかってもらえなかったんだろう。自分のどこが悪かったんだろう…。と、「自分の改善点をみつけ、それを変えていくことにつなげる、のがもうひとつ。

 

よくあるのはこの前者、「相手を変えよう」としたところで、まずそれは無理なことがほとんど。なのでこの後者、「自分が変わる方向」が、たぶん変えられる現実解。

だから、(この場合で言えば)「よりわかるように伝えられる自分に変わる」事が求められている。

 

…でもこれ、べつに大人になった今に始まったことじゃなく、子供のころからきっと同じシチュエーションは何度も通ってきたはずだ。

小さな子供が、自分が欲しい何かを大人に頼むとき、大人サイドは「子供の説明を、大人目線で、大人として分かったつもり」になっているかもしれないが、本当にそうなんだろうか?子供は語彙が少ない、説明を上手にできない事が少なくない。そんな中、本当に「その子が言いたかったことが、私(大人)に伝わっている」のだろうか?
そして当然子供は子供で思っているはずだ。自分の言いたいことが伝わらない、大人の論理で一刀両断にされている、それをきちんと説明したいのに今の僕には/私にはうまく言葉にできない。悔しい、悲しい…涙になっている子供、いるんじゃないだろうか?

 

ものごとを丁寧に考える、それを丁寧に言葉にする。難しい言葉は必要ない。子供だって、子供の立場で論理的に考えられているはずだ。ただそのロジックは大人と違い、大人の観点からすると突拍子もなかったり、逆に一つの視点しか持っていなかったり。

丁寧に考え、丁寧に伝える。丁寧に組み上げ、丁寧に論理を解析する。大人はおごらず、子供にもそうした考え方を教え、育てる。そこから発想される解は、本当に目からうろこの素晴らしい解だったりするんだから。難しい言葉は、優しい言葉が大量に積み重なっている事を一言で説明する便利なスキル。でも、そこでコミュニケーションの齟齬が起きていませんか?