仕事は与えられるもの、、、

現場で働いている、いわゆる1メンバー、平社員の話を聞いていると、まだまだ「仕事は与えられるもの」「上から降ってくるもの」という意識が大半を占めている。大丈夫だろうか?

 

もちろん、会社ごととして動いている以上、大きなくくりでの仕事は部長、課長、係長経由で振ってくることがほとんどだろう。だが、そこで「これやっといてくれ」を文字通り「これ」しかしなかったらどうなるだろうか?ということは考えていないようなのだ。

 

経済原理から言えば、より安いところに仕事を出そうとする。同じ1時間で仕上げてくれるなら、1時間2000円のところより、1500円のところを選ぶのが今の経済原理だ。大して差異がないのなら、明らかに安いほうを選ぶ。

これが現状の、「正社員をどんどんと切り詰めて、派遣社員に置き換えている」という現場ではないか。そこに危機感はないのか、だから「これ」だけでは安くなるのではないかと。そこに様々な「あなた」である付加価値、「あなた」でしか成し得ない気づかい、「あなた」だから(例えば詳細な説明などの)手が抜ける、等々があるからこそ、今は仕事があるけれど、それがないのだとしたら?いちいち細かく説明せねばできないのだとしたら?

 

だから仕事は大なり小なり「作り出す」もの。言われたことにプラスαとして、自分がやるからこその価値を考え続けていなければ、それはどんどんと安きに流れて行ってしまう。

 

だが他方、企業の側からすれば、「絶対にその人でないとできない」といった俗人的なことにはさせたくないと考えている。だからノウハウを提供せよ、マニュアルを作れ…などなどといちいちうるさく言ってくるのだ。企業人ならば、それは従うほかないだろう。そうしてマニュアル化出来るところはした上で、「次の自分の付加価値」を探しに行かなければならない。

 

もしもそれが嫌だというなら、ノウハウ、マニュアル化は提供しないというのも手だろう。実際そういう人を見たこともある。だがそれは究極的には、その狭い分野における部分で生きていくという事。その(たぶん)小さな狭い領域を究極まで掘り進め続けない限り、価値のインフレとは戦えないことになる。もっと言えば、その部分で専業となり、自分で事業にすればいい話だ。

 

どちらにせよ、広く次々と分野を広めるのか、それとも狭くそこを深く掘り下げるのか?自分の仕事に対する戦略を決めたほうがいいのではないだろうか?

もちろん、どちらも成功する可能性はあるのだから。