本当に効率だけでしょうか?

様々な企業で、職場で、効率化が叫ばれて久しい日本の現状。当然「病院」もその例外ではない。保険点数という制度はあるものの、だからといって「病院」だけが、楽に儲けがでるような仕組みにはなっていない。

 

そんなとある病院に…患者が訪れ、自分の病状を診断してもらい、治療を望む。診断の結果、どうやら癌らしいことがわかる。たいていの患者はそうそう死にたくはない。だがそんな中で、

「あなたはステージ〇です。もう治るかどうかはわかりません。」

このような事務的なやり取りで済まされたりしたとしたら、大丈夫だろうか?

 

病院経営が大変なことは様々なメディアが報じている。医者は当然楽な仕事ではない。経営の効率化を強く求められている医者もいるだろう。だが、だからと言って、患者に事務的に、事実のみを伝えるということが、その医師に求められている役目なのだろうか?

 

おもんばかるとか、おもてなしという言葉がある。特に後者は2020年東京オリンピック誘致の際に、キーワードになった言葉でもある。だが今の日本で、「本当のおもてなし」は実践されているのだろうか?さらに言えば、究極に「経済指標の観点からのみ」効率化された職場において、そういった事は実践できるのだろうか?
そもそも、おもてなしやおもんばかった結果という事をどうやって「経済指標的」に測定しようというのだろうか?それがなければそもそも効率化を測る意味がない。となれば、汲々と経済観点から「のみ」効率化を要求されている現場は、おのずと事務的、作業効率的にストレートな行動、場合によっては行いになるのは想像に難くない。誰のためのおもてなしなのか?対経営陣なの??

 

まぁ、よくできた経営者はそれすら飲み込んで、将来を見込んでそうした事ができる「必要な余裕」は必ず残したうえで、モノづくりやサービスに邁進し、結果として、その「必要な余裕」が、よりよいモノづくり、サービスづくりに寄与している企業もあるのは事実。
だが、いったん赤字や経営基盤の傾きが見え始め、そこを削り始めたとたん、もう元には戻れない道が待っている。ましてや、サラリーマン社長にそんな大英断が下せる人は、いないとは言わないまでも何万人に一人くらいではないだろうか?

 

経済的隘路に迷い込んだ日本の行く末がこれでは、当然後に続く後継者も出ず。でも国は新興企業を応援するように見せかけて、本来潰してもよいような企業を救済し続ける。
どこへもっていきたいのだろうか???