労働人口とAIとBIと

AIが発展することによって、仕事がなくなるのか?現在の仕事の中で、なくなる仕事はこれだ!等々、雑誌を始めとするメディアでは、恐怖を煽る記事が躍る。

 

正直なところ、怖いなと思うところがあるものの、私の心の中のその恐れは小さい。そうしてなくなる仕事はたぶんいくらかはあるだろう。けれど逆に言えば、そんな「マシンに置き換えられるほどの単純な仕事」なら、置き換えられればいいのだと思っている。それは人間がわざわざすることではないからこそ、置き換えられるはずでは?さらにこれもよく語られていることだけれど、10年、20年前にはなかった仕事というのがいくらでもある。となれば、10年後、20年後は、今は存在していない仕事はたくさんあるのも予想できるはずだ。

 

たぶんそれよりも明確に暴くべきは、そうした消えゆく作業の多くが単純労働であるにもかかわらず、置き換えられずにいた仕事として、既得権として結構な額を得てきた人々。そうした人々こそが、世間の中において相対的に「甘い汁を吸えていた人」ではないのだろうか?だから正しく労働の困難さ、負荷の高さに応じて賃金が支払われていたとするならば、その人たちはもしかしたら、もっと安く賄われるべきではなかった人ではないのか?と思うわけだ。もっと苦労している人に、努力している人に、正しく報いる社会になるのは、理想を目指す方向性としては悪くないのでは?

 

もっと議論すべきは、予見すべきは、AIやマシンに置き換えられる世界が来ることによって、当初の労働による儲けが適切に労働者に分配されていたところが、いわゆる資本家にのみ資金が集中し始める可能性が高いという事。本来は働いていた労働者に分配されていたところが、マシンに置き換わることにより、賃金として支払わずともすむ世界に。

こうして資本家はよりお金がもうかり、労働者は路頭に迷う世界が想像される…からこそ、ベーシックインカム論が喧しいことになる。

 

ベーシックインカムは、ただ配分バランスがむつかしそうにも思う。であるがためいくつかの国家はそれにかじ取りをするのに非常に慎重にならざるを得ない実情を見て取れる。柔軟に、スピードをもって、制度を運用、変更、調整することができれば、もしかするとうまく回り始めるかもしれないが、今の法律の動き、法整備のスピードなどを鑑みても、なかなかおいそれと動けていない状況。こんな中でベーシックインカムを導入しても、「お金を潤沢に配布しすぎれ」ば、マシンに置き換わる前に誰も働かなくてもよいだけ配分されれば、国としてのGDPに相当する価値はてきめんに下がり、一気に貧しい国へと転げ落ちる可能性もなくはない。
逆に、「配布量が少なすぎれ」ば、結果的に労働者の現状はあまり変わらず、金持ちばかりが得をする社会が維持されて、結果的に「この仕組みではいかん!」などと適切なバランスポイントを探し出す前につぶされてしまう危険性すらある。

 

とは言え、もちろん頭のいい人たちが、シミュレーションなり統計なりを使いながら、適正であろう値をはじき出すんだろう。でもどう考えても精巧なシミュレーションによってすべて置き換えられるはずはない。それができているのなら、仮想現実社会がネット上に実現できているはずなのだけれど、それが出来ていない現実。いかんせんパラメーターが多すぎる。不確実要素が多すぎる。であるがゆえに、バタフライエフェクトで、小さな差異が大きな誤差を生む可能性は非常に高い。

 

ならば、今やっておくべきこと、準備しておくべきことは、やはりAIなどでは発想できなさそうな、手に負えなさそうなスキルを身に着けていくこと。

色々ありそうだけれど、私はその一つが、「人に興味を持つこと」なんじゃないかなと思っている。
いや、結局デジタルで置き換えらえるときに進むべきは、アナログ回帰なんじゃないだろうかと、真剣に。