資本主義の前提

いわゆる最初に考えられていた資本主義の前提として、個々が個別に労働をするよりも、方向性をもって(たとえば会社という方向性で)仕事を進めることにより、より効率よく成果が出せる、儲けられる、生産できるという流れがあって。その中で、「では私は、方向付ける、という仕事を担当しよう」とする資本家と、「では私は、労働を提供することを担当しよう」とする労働者とに分かれて、その双方にお金が配分され、回っていた。

 

それにたいして、ロボット化、さらに高度なことができるAIの進化によって、「方向付ける」方の仕事は依然として必要だけれど、「労働する」方の仕事がどんどんとマシンに置き換えられる可能性が出てきた。というのが、システム崩壊のはじまりになっている。…というのが昨今のAIの台頭、資本主義崩壊の始まりかと。

だから多くが、AIやロボット化されたシステムになったとしても、これまで通りの資本家にはお金が流れる経路はあるけれど、「今までのような労働者」には、お金の流れる経路が断たれる危険性が出てきている。それが昨今の危機をあおるような、新聞雑誌等の記事の根拠とするところだろう。

 

もちろん、「今の仕事」はなくなるかもしれないけれど、「今はない仕事」が生まれる可能性も多々ある。2018年現在において仕事として成立している、たとえば「Webデザイナー」などという職業は、そもそもWebがなかった1980年代には存在しなかった職業だ。

だがたぶん人は、今なにも見えていない未来を恐れている。バラ色とまではいわずとも、なにかより良くなる可能性、便利になる可能性、豊かになる可能性、雰囲気がが見えたり、感じ取れていれば、それに向かって個々が努力し始めることもあり得るだろう。ところが未来が見えなければ、どうなるかわからなければ、少なくとも同じ状況を保てる想像ができなければ、悲観し、今の状況から変化することを恐れる。それが今の状態。

 

であるからこそ、未来を語る、より良いビジョンを語る、そんな人材が求められていて、欧米諸国においてはそんな経済界のリーダーや、政治家が立ち上がるわけだ。…が、日本を見ていると、政治家も、ジャーナリズムも、そしてそれらを眺めている私を含めた市民も、冷めているし、冷ややかに見ている。もう駄目なんじゃないかと思っているけれど、自分だけでやったところでやりようもないから、あきらめて、日々なんとなく暮らしている…という人々が多すぎるのかもしれない。

でも、実は伸びしろはあるはず。それは何かと言うと(残念ながらネガティブな現実を直視する必要があるのだが)、今の日本は、別に経済大国でもないし、アジア各地からすると、相対的に遅れがちなポジションであること。遅れている、劣っている事を素直に認められれば、努力すれば良くなるし、成果になるのは当然な事。

 

50年後とまでいかずとも、20年後、30年後の日本のビジョンは?まぁそれを語るためにも、今の経済を立て直さなければ…と、ぐるっと一周回ってくる議論になるわけで。
資本主義って、いつまで続くのかな。