それも出会い

仕事柄、研修などとよく巡り合うのだけれど、自分もそうなのだが、受けたくて受けた研修と、上司が、会社が出ろと言っているので嫌々ながら出る研修とでは、なかなか身の入り方が変わってくる。

 

自分からお金を払ってでも…、という人にとっては、何が何でも払った価値分は取り返す勢いの人が大半だが、会社がわざわざ「行ってこい」と命令してきている人でありがちなのは、学びたい人だとは限らないという事。

 

確か海外における物事のたとえにこんなものがある。

「山羊を水飲み場にまで連れていくことはできても、飲むことまでは強制できない(そこは当人しだいだ)。」

「場」は提供できるし、そこへ引きずって連れていくことまではできる。だが、それを理解し、会得し、モノにするのは当人しだい。

となると、どのタイミングで連れていくか、どういう動機で連れていくかは大変重要で、興味があるとき、それをやりたいとき、それが必須になるとき…の少し前あたりに、そうした「場」を提供してやる事。

いや、昨今の考え方なら、「場を提供する」ではなく、「場」は常に提供されていて、自分のタイミングで、自分からそこに飛び込んでいく、くらいのやり方がいいのだろうか。たぶんこうしたやり方、ニーズを満足させるやり方が、キャリアステップアップに関する「カフェテリアプラン」であり、当人たちが自分の興味とタイミングを見て、自分でキャリアを形成していく。

確かにそれは理想的ではあるけれど、往々にしてそういうやり方をしていたとしても、本当に学んでほしい人、頑張ってほしい人であればあるほど、忙しすぎて、そんな研修には参加できる時間が取れなかったりする。逆に、勢い、研修漬けになるような人が出てきて、人材育成のゆがみが出たりする昨今。むつかしいよね。

 

なんだけれど、結局そうした研修もそうだし、自分が出合いたいような人物に自分から出向いていくのもそうだし、どちらも、自分から行っていかなければ、自分で行動に出なければ、なかなか満足できるものには出会えないだろう昨今。

そうした出会いをどう作りだしていくのか、別にお金をかけろというつもりはない。場を求めて、より良い世界を、より良い出会いを求めて。結局は自分が探している自分の片割れを探しに、「僕を探しに」ずっと旅しているんだろうな。