テストが表しているもの

昨今の社会人、それもいわゆる一部上場企業などで働いていようかという方々の多くは、英語能力がある一定以上あって当たり前、の世界になりつつあるようで。

 

昔なら「英検2級」あたりが相場だったけれど、英検とっても話せない人が多かったからなのかどうかはわからないけれど…最近の多くはTOEICを指標としているところが少なくない。社内の昇格要件としての、TOEICが〇〇点以上、なんてのが相場として存在する。

 

これを目指して社員は英語に邁進する。TOEIC試験対策〇〇などなど、講座を受けたりスクールへ行ったり、最近っぽいところではアプリを投入したりなどなど、涙ぐましい努力。いや、努力をバカにしたいわけじゃない。皆さん頑張ってください。

 

ただ、本当に全員がTOEICを必要としているのだろうか?TOEICがコミュニケーションに重きを置いているテスト(命名からしてそうだが)なのはわかっているのだが、実はTOEICでほぼ最高得点を取っていても、話ができないような人はいくらもいる。そう、テストの「点数がいいだけ」の人がいるのだ。

 

ただ確かにこうした事実はある。英語でのコミュニケーション力が高い人は→往々にしてTOEICの点数が高い。これはたぶん事実だ。だがここでは「TOEICの点数」は必要条件であり、十分条件ではない。だから、「TOEICの点数が高いことで、英語でのコミュニケーション力は十分」とは言い切れない事実が存在する。これが上述したテストの点数がいいだけのメンバーの実態。

 

…だが、だからといってTOEICをやめてほかのテストを、指標を…というのも現実的ではない。もちろん、「必要十分条件」としての「〇〇テスト」があればそれに越したことはないのだが、どのテストでも同じだけれど、「それだけで」判断することは不可能に近い。…と考えれば、「TOEIC」を「昇格の必須条件」にすること自体が、ある意味ゆがみを助長することになるのではないか。人用要件の一つだが、その他の要件が上回れば、他の欠点をカバーして有り余ることがあるはず。最近、全ての項目の平均点が高く、かつ全体としての点数が高め、を求めるところをいくつも見るけれど。それ以外の、ある項目ずば抜けてます!それ以外はかなりグダグダですが orzをどこまで救済するのか。

 

とはいえ、じゃあとそこにあいまいな判断基準を混ぜ込めば、それこそが判断の混とんを生み出す要因となることも見えている。

やっぱり、人を見極めるって難しいな。でも、本当にいい人と出会うと、究極の化学反応だって起きるんだけど。