パンドラの箱

理科の実験や、化学工場などの処理は、「拡散させないように閉じ込める」事が肝心だ。毒性の高いモノなどがいったん管理を離れて拡散されてしまうと、それらをすべて取り戻すことが非常に困難に、事実上不可能になるからだ。であるため、管理は厳重に、取り扱いには細心の注意を払う必要がある。汚染物質などが厳しく取り締まられる背景もまったく同じだ。

 

これを象徴する寓話的な話が、パンドラの箱。その箱を開けてみたところ、閉じ込めていた様々な悪いことがすべて拡散し、二度とその箱に閉じ込めることができなくなってしまったという事。さらには、その箱の片隅に小さく残っていたのが、小さい希望だったという事。

であるがために、その「パンドラの箱」を恣意的に開ける際には、細心の注意が必要だという事だ。これを開ければ何とかなるんじゃないか…的発想で開けたが最後、そこに閉じ込めていた最悪の状況は、二度と取り戻せない状態になるのは言わずもがな。

場合によっては、ほかの場所で、「その場所のパンドラの箱」を開けた結果が見えていることもある。だからこそ、注意して、それも何十にも議論し、様々な状況を想定したうえで、決断する必要があるのは当然だろう。

 

ここ最近、国会では二つの大きな決断が下されつつある。それは、水道事業を私企業に委託できるという法改正と、外国人労働者をより日本に導入しやすくするという内容だ。

あくまで私の考え方だが、水道事業に関しては世界各国ですでにその失敗事例が散見されており、私企業にすることで「値段が上がる」「水質が下がる」というネガティブな結果が出ている。とはいえ、たぶん今のままでは価格的に、各自治体が持たないのだろう。ならば「その現実をつまびらかにしたうえで、今こそ公共投資をきちんとすべき」ではないのだろうか?少なくともきちんと議論が尽くされるべきだろう。それを「私企業」に任せ、企業だから利潤追求という事で値段が上がりますよね…というのは、そもそもの公の説明責任を放棄しているとしか見えないのだがどうだろうか?

さらに外国人労働者においては、「今、喫緊の課題は人手が足りないという事」という形で進められているけれど、これは明らかに言葉が足りない。それは「今の労働賃金基準ベースで働いてくれるような人が、足りない」という事であり、「賃金ベースを上げて、雇い入れることを考慮したうえで」の話に全くなっていない。そういう意味では、政治家は資本家の方にのみ向いているだけであり、多くの国民属性である労働者の方に何も向いていない。

労働者の賃金を上げずして何が景気回復なのだろうか?こうして外国人労働者を入れることで、もちろん優秀な労働者も入ってくるかもしれないが、不良労働者も激増することは目に見えている。

さらには、外国人労働者とて、「日本」がいまだにそこまで魅力的な労働環境と映っているのだろうか?ほかの国と比べれば、明らかにヨーロッパなどのほうが、より良い労働環境で働ける国も存在する可能性は高い。となった時に、さて資本家は、政治家はどうするつもりなのだろうか?あきらかに「考えていない」、「目先の」、「パンドラの箱を開ければ何とかなるんじゃね?」といった対策しか打てていないのではないか。考慮が浅すぎる。議論が足りなさすぎる。

パンドラの寓話のように、箱を開けた後に「希望」が残っていることを祈りたいのだが、それさえも期待薄なきがしてしかたがない。

 

 

いろんなシミュレーションもやられているとは思うが、すべてのパラメータがつまびらかになっているわけもなく、この結果は、「箱を開けてみてから」しかわからない。

そして一度開けてしまうと、簡単には元に戻らない。

平成も時代の終わりを迎え、「平らかなる時代」が終わりを迎えるような気がしている。