ないものに気付くこと

それは、ネットなどメディアに載らなくなるだけで、存在しないわけでは無い。でも目にしていることばかり見えている事だけを気にしていると、載っていない事には気づけなくなる。

 

それでもずっと見続けていれば、ある時期から消えた/最近見なくなったもの、といったものには気づくこともある。おやっ?と思ったそれがきっかけ。…となった時からさかのぼると、実は以前見たものが見つからなくなっていたり、すっかりと痕跡が消されていることがある。

そう、情報は消されうるのだ。いつでも、いつまででも、一度存在したものが、これから永遠に存在し続けるとは限らない。プライバシー情報など、一度流出すると完全消去が難しいのは事実だが、消そうと徹底すればかなりのところまでは消せるというのもまた事実。

 

もちろん、世の中の事象をすべて細大漏らさず知り尽くすことなどできるわけはない。だが知るべき知識を知らずして、損をしている人もいる。逆に、知る必要がない事を知ったことで、苦しむ人もいる。それを知らないことで、平穏に過ごせる人も多いかもしれない。だから全てを知ろうというつもりも、何も知らなくていいというつもりも無い。

悲しいかな、「一度知ってしまった事」を、「知らなかった事」にすることができないというのはどうしようもない。だがだからと言って、本来知るべき内容を、目を閉じ、耳を塞いで、知らなかった事にするのはどうだろうか?

 

もうこうなると、その人の生き方、人生そのものに根差すことに。ある意味個人のスタンスだろう。

あなたはどうだろう?何が知りたいですか?知りたくないことは何ですか?そして、本当は知るべきなのに、まだ知らない事って何だと思いますか?むやみに探し回っていませんか?無駄な時間をなんとなく探すことに費やしていませんか?でも一方で、知るべき情報が取れていなかったりしませんか?