探さない人

すでにスマホがこれだけ行きわたった時代において、それで十分な人もいらっしゃる。半面、スマホを入り口にして、より自分で自由にいろいろ加工したいということで、パソコンを習いたい…なんて言う人がいる場合もある。別にパソコンじゃなくて、タブレットでもいい。

そういう人にお会いする機会があり、ちょっと聞いてみた。

「パソコンで、何がしたいのですか?」と。

 

こう質問された回答として、大きく二種類の解を見ることが多い。

1) この質問をすることで、「実はあの写真をこうやって加工して、こんなことができないかと思うんだが、どうだろう?できるだろうか?」と、具体的に自分がしたい事、作りたいものがイメージできている人。

2) この質問をすることで、「ところでどんなことができるだろう?何ができるか教えて頂戴」という人。

 

言うまでもなく1)である前者は、自分がやりたいことがある。そのためにパソコンなりタブレットなりの「道具」の使い方を知りたいと思っているわけだ。場合によっては「パソコン」である必要すらないかもしれない。

だが2)である後者は?そもそも成し遂げたい何かがあるような雰囲気がほぼない。であるがゆえに、実質的な目的が「パソコンを触る事」になりかねない。そもそも「聞いた上で、興味が持てればやろう」という雰囲気すらあり、それなら「わざわざ興味など持っていただかなくても(私の手を煩わしていただかなくても)…」という気持ちにさえなる。

 

無理にとは言わない。だが、「何のために」とか「何をしたいのか?」をイメージできない人がいるらしい。たぶん、経済上恵まれた世代を生きた、もしくは、一生懸命生きることだけで生きてこられた人たちだろう。

であるからこそ、「何を成したい」のかを考えてみませんか?それを考えることに、大きな価値があると思うのですが。

老人ホームなどでつまらない体を動かす体操をして、面白くないテレビを見ながら人生の最後を過ごしたいのか?何かしたいこと、やりたいこと、見たいこと、知りたいこと、聞きたいことを、ゆっくりでもいい、探し、到達し、満足するのと。

2019年が始まった。考えないと、流される時代になってきているんじゃないだろうか。