つまらないテレビ

今年もそろそろまともに仕事が回りだした年初最初の一週間。さすがにどこにおいても、もうお正月気分も終わったことだろう。私も皆さんと同じように冬休みを取っていたのだけれど、正直なところ、その間に触れたテレビのコンテンツに対しては、本当に辟易したというのが正直なところだ。

 

ニュースや天気予報はまぁ良しとして、それ以外の多くのコンテンツが、まぁなぜこんな内容を引っ張って引っ張って時間を使って説明しているのかというのがまったく理解できなかった。もうサックリ進めればいいではないか!なぜそこでCMを挟む!といったような内容ばかり。

分かりやすい映像を作ろうとしている工夫は少しは感じる。だが、分かりやすさを追いすぎて、冗長で無駄な映像や説明が繰り返し繰り返し行われることがほとんど。要するに、「皆さん分からないでしょ、分かりにくいでしょ?だからこうしてわかりやすくしてあげてますよぉ」みたいな過剰なおせっかい、言葉を濁さずに言えば、バカにされている感じすらしたわけだ。

 

たぶん、すっきりとその内容を伝えれば、1分で伝えられることを、5倍10倍に薄めて薄めて伝えようとする。そのコンテンツの内容の無さ、薄さに嫌気がさした。

 

そういう世代だから仕方がないかもしれないけれど、お年寄りなどは、そうした「テレビ放送」でもなんとなく見ている、点けているというお茶の間。しかしこちらとしては、「こんなバカな、面白くもないモノを、よくもまぁ飽きずに我慢してみていられるよなsigh」という雰囲気。

…でハタと気が付く。そうか、この人たちはもしかしたら、自分たちでコンテンツを探しに行く…という事を考えないのかもしれない、という事。

 

昨今の、それも「テレビ離れした」世代においては、「テレビで面白い番組」が見つからない場合、躊躇せずネットに移行するのではないだろうか?つまらない「番組」を見ているくらいなら、自分が興味のある、面白いかもしれないYoutubeなどを検索し、自分で探し出したほうが、余程楽しめる。

だから、自分からコンテンツを「探しに行く」人種と、「与えられた中から選ぼう」とする受け身の人種と。

 

 

もちろん、テレビ「放送」の中にも面白いものもあるのは知っている。そして昨今の人たちでそれも効率よく楽しもうとしているかなりの数の人達は、そういうものは、録画機に自動で録画させて貯めておいて、自分のタイミングで、自分の見たい時間に、見たい番組だけをセレクトしてみる、ということ。

 

そう考えると、現在の「放送」が、いったい「誰」を相手にしていくのか、視聴率を稼いでいくのか…ということ。もちろん、若者であっても、自分でコンテンツを探しに行かない人もいる事実もある。

でも、どちらが主流になるのだろうか?冬のテレビ番組を見ながら、そんなことを考えた冬休み。2019年のコンテンツが動き出している。