子供に厳しいだけでなく

「日本がここまで子供嫌いの国になった理由」という記事が、ランキングに上がってきた。

president.jp

この記事だけに限らず、日本はあちこちで弱者に厳しい環境になり始めている気がする。

この記事もそうだ。

www3.nhk.or.jp

ボタンを押すことにより、「あぁ、また電車が遅れるよ」「仕事に遅れちゃう」と言った言葉が飛び交う状況。

 

もちろん、子供にも、病気の人にも、弱者にも、対応してあげたいし、落ち着いて俯瞰的にこの記事を読んだり見たりしている人は、「それは酷い…」と、常識的な反応を返すかたがほとんどだと思う。

それでも「いざ」その状況に放り込まれたらどうなのか?

 

分かっていてもできない人は、私も含めて少なくない。それを私はこう思う。「そのくらい個々人が、誰かにかまっていられるほどの余裕がなくなっている現代の状況」になりつつあるのではないだろうか?

 

首都圏ではもう当たり前のように、毎日どこかで電車が遅れる。日本は電車遅延がない社会…などというのは遠い過去の幻だ。であるため、電車が遅れてもらっては困る人、そのくらいギリギリで出ざるを得ない人がたくさんいる。それこそ最初の引用記事にもつながるが、子供を預けて、会社へ行くためには、それこそ朝の時間などは1分、1秒が貴重。そんなギリギリの中で生活している。

 

なぜそんな状況なのか?個々人の余裕がどこに収奪されているのか?もちろんそうでないところもあるかもしれないけれど、今の日本は「個々人の今まで持っていた余裕」を「企業や組織」が、「生産性」や「効率化」の名の下に収奪しているのではないだろうか?そしてその結果、余裕が失われた個々人は、自分が生きていくだけでもけっこうカツカツで、(とはいえ多少は余裕があるだろうけれど)それ以外の誰かにまでかまっていられない、自分がこのレベル以下になったら自分の生活基盤を失いかねない状況にあるからこそ、子供の声がうるさいとか、電車遅らせるなよといったコメントにつながっているんじゃないだろうか?

似たような影響は、父兄会、PTA、自治会、マンション理事会などなどにも出ていて、仕事が忙しくて出席できない、参加できない人がたくさんいる。夫婦共働き、核家族化の進んだ都会はどんどん孤立化することに。

 

何かの対策…はあるのかも知れないけれど、抜本的対策は見当たらない。原因はいろいろある。大きなものは人口減少だし、産業構造の変化に対しての既存産業の延命や継続の可否等々、さらに昨今流行りの生産性向上など、様々な要因が絡み合っての結果が、上記の記事として上がってきている気がしている。

 

抜本的社会構造、経済構造が変われない限り、徐々に首が締まっていくこの嫌な感覚は逃れられないのだろうか?仕事効率化?生産性向上?一つだけ向上しても、どこか違うところにしわ寄せしているだけ…になってませんか?それが弱者に、子供に、集まってきていませんか?