すでに消えてしまったもの(プラットホーム)

昔の映画を見ていると、今の世界では既に使われていないモノがいくつも出てきて、なにそれ?それどうやって使うものなの?という機器がいろいろと。

邦画の有名なところでは、昔は「ケータイ」が今ほど小さいものが存在せず、「肩から掛けるようにして持ち歩いていた、ショルダーバッグのようなケータイ」が、映画「マルサの女」に出ていたり。

他にも、「呪いのビデオ」や貞子で有名な「リング」なども、VHSというビデオテープが存在していて初めて意味があるもの。「あの黒い箱みたいなの、何?」と思ってしまうと、興ざめかもね。

 

音楽も、私的録音においてはカセットテープ、(カセットからDATは本質的に変わらなかったけれど)MD、そしてパソコンやUSBメモリータイプへの変遷は大きな変化であり、また同時に記録媒体としての、レコード、CD、そしてストリーミングへの変遷も大きな流れであり進化でもあり。

 

ゲーム機器も、当初は専用マシンを都度作っていたのが、カセットという形でソフトが汎用交換式となったファミコンによって大爆発的ヒット。その後、セガソニーマイクロソフトもしのぎを削ったけれど、事実上日本においては、任天堂ソニーの二大巨頭で落ち着いて…。が、それも音楽同様、配信サービスにより、ハードウェアはスマホという形で、徐々に共通化され、ゲームソフトの配信という形に収れんされるかされないか?という瀬戸際に来ている雰囲気も。

 

その意味では、「デジタル化」によって、文章も、画像も、音楽も、映像も、すべてを等価に「デジタル信号」として扱えることで、デコードできる仕組みさえあれば、再生する環境はどうでもよくなってきてしまった今日。
であるがゆえの、専用のハードウェアの開発という時間と開発労力をかけてもペイしない世界が生まれ始めている昨今。

 

共通プラットホームを制する者が、ビジネスを制する形に。

であるからこそ、ゲームのプラットホーム、音楽配信のプラットホーム、映像配信のプラットホーム、検索のプラットホーム、ビジネス文書のプラットホーム、お買い物のプラットホーム…様々なプラットホーム事業がビッグビジネスを作り上げているわけだ。
と考えると、今はない、でも将来的には無くてはならない「プラットホーム」を作ることができれば、それはそれでビジネスになるのかも。
すで競争が始まってしまっている支払いのプラットホームをはじめとして、宅配のプラットホーム、旅行のプラットホーム、洋服のプラットホーム、ウェディングのプラットホーム、イベントのプラットホーム、就活のプラットホーム…。